ディスカバー・ニッケイ

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「コレマツ対合衆国」裁判を読んで感じた怒り (英語)

(英語) コレマツ裁判について読んで、私はこのようなことが日系社会に対して行われたということだけでなく、国の最高裁判所までもがこの事態を受け入れた、ということを初めて理解したんです。そして私は愕然としました。なぜなら、日系社会が間違った仕打ちを受けたというだけではなく、この国の最高権威である最高裁判所までもが日系社会への扱いは合憲であると判断した訳ですから。コレマツ裁判を読んで私は強い怒りを感じました。


公民権 差別 フレッド・コレマツ 政府 対人関係 政治 人種差別 米連邦最高裁判所

日付: 2000年3月23・24日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: マーガレット・チョン、アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ロレイン・バンナイ氏は、1955年にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた日系三世の女性です。大きな日系アメリカ人コミュニティがある(同州の)ガーディナで育ち、コミュニティーや政治で様々な役割を果たしていた父の影響や、教育熱心な母の影響を受けて育ちました。カリフォルニア大学サンタバーバラ校に入学し、そこで日系人の歴史やエスニック・アイデンティティの問題、人種の不平等を強く意識するようになります。その後サンフランシスコ大学法学部で学び、政治や社会運動への志を強くもつようになりました。

法学部を卒業してわずか2、3年後、バンナイ氏は、コレマツ対アメリカ合衆国で1994年に米最高裁が下した判決の再審を求める弁護団に加わりました。第2次世界大戦中に退去命令に背いた罪で、コレマツ事件は連邦最高裁まで持ち込まれましたが、その連邦最高裁とは、軍事的必要性という米政府の論拠を基に、日系アメリカ人を隔離し収容することへの合憲性を支持していたところだったのです。そこで弁護団は、自己誤審令状を請願し(この事件は裁判官と検事側の弁護士が誤った事実を基にしたものだと立証し)、事件(の審議)を再開させ、退去命令の事実根拠は不正であるという証拠を提出しました。これにより、コレマツ氏のケース、およびこれに似たいくつかのケースの有罪判決を無効としたのです。このインタビューでバンナイ氏は、自己誤審令状の弁護団、日系アメリカ人コミュニティーの支援努力、このケースに関わったことで個人的に得た教訓などにについて語ります。(2000年3月24日)

エヴェリン・ヨシムラ

『Gidra』の内容 (英語)

コミュニティ・アクティビスト

ローズ・オチ

立ち上がり、挑戦すること(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ローズ・オチ

公聴会(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

ジョージ・タケイ

アジア系に対するステレオタイプ(英語)

俳優、活動家(1937年生)

上杉 武夫

ニューヨークで学んだ後、日本に帰国(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

トム・ユキ

憲法に守られることを信じていた父(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

トム・ユキ

日系人の帰還を歓迎しなかったサリナス(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

タカヨ・フィッシャー

戦後の米国で人種的に自分が何者なのか混乱(英語)

日系アメリカ人二世、舞台、映画、テレビ女優 (1932年生)

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士