ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/609/

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

(英語) 日本に来て3年たった今、僕が日本に残ろうという理由は、おっしゃる通りいろんな理由が蓄積されてきたからなのです。日本に長く住んできたので、仕事もありますよね。だから再びアメリカに戻ってかつてのキャリアに戻るというようなことは考えられないんです。こっちで何か新しいことを始める方が楽なんですよ。僕が来た当時は、外国人が仕事をする機会がたくさんあったんです。それも理由の1つでしたしね。もう1つは、その頃、僕はアメリカに嫌気がさすようになっていたんです。アメリカを去るずいぶん前から、ロサンゼルスに居た時にたくさんの政治的な偽善なんかを目にして思っていたことではあったんですけど、日本で、外からの視点で湾岸戦争が起こるのを見ていて失望したんです。アメリカはもはや僕が住みたい場所ではなくなったんです。


Finding Home(映画) 移住 (immigration) 日本 移住 (migration)

日付: 2003年9月12日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

2世の母と3世の父を持つビンス・オオタは、ニューハンプシャー州に生まれました。オオタ一家はロサンゼルス、ニューヨーク、ミネアポリス、ロンドンと転々とした後、メリーランド州ゲイザースバーグに落ち着きました。メリーランド州の小さな町で育ったため、アジア系アメリカ人との交流は少なく、夏にロサンゼルスにいる親戚と過ごすくらいで、自分の環境をアメリカの『純粋な白人』のものであったと述べていました。その後、西海岸へ移り、コミュニティカレッジへ入学。その後はCalifornia Institute of the Arts(カリフォルニア芸術大学)へ進学しました。ロサンゼルスで7年間クリエイティブデザイナーとして働いた後、1996年に渡日しました。以来日本に住む彼は、インタビュー当時、クリエイティブデザイナーとして活躍しており、今後の日本在住意思を示していました。(2003年9月12日)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

ローズ・クツカケ

両親がカナダへ渡航した理由(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)

フレッド・ササキ

フレデリック・ヨシヒデ・ササキの家族構成(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

キミ・ワカバヤシ

見合い結婚 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

キミ・ワカバヤシ

移住初期のカナダでの生活 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

ミツオ・イトウ

渡日の決意(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

シズコ・カドグチ

日本の男女別教育(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

田中誠一

渡米(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

エンセン・井上

日系アメリカ人家庭に育つ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

エンセン・井上

渡日の理由(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

エンセン・井上

日本社会への突然の受け入れ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

エンセン・井上

家紋を探る(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)