ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/586/

学校と家で学んだ日本語(英語)

(英語)小学校や中学校に通っていた頃は、ほぼ強制的に日本語学校に行かされていました。高校生になると行くのを止めましたけど、両親は僕らによく日本語で話しかけていたので、何となく理解できていました。それから小中校生の頃、父方の祖父母もしばらくの間一緒に暮らしていたのですが、祖父母は英語が全然話せませんでした。だから、祖父母とコミュニケーションをとるために、崩した英語と日本語を混ぜて話さなければならなかったんです。僕自身の日本語教育に関して言えば、このような感じでした。

でも残念なことに、僕は自分から日本語をもっと勉強しようとしませんでした。今となっては、僕らがやっている太鼓や、自分の日本との関係を考えると、そのことをすごく後悔してます。でも日本に行ってしばらく経つと、自然に日本語を思い出すので、その点はよかったですね。


日付: 2005年1月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ロイ・ヒラバヤシ氏はサンノゼ太鼓の支配人であり、グループの創設者の一人です。1951年、カリフォルニア州バークレイで帰米の両親のもとに生まれました。彼は5人兄弟の真ん中で、カリフォルニア州オークランドで育ちました。1969年に高校を卒業した彼は、サンノゼ州立大学へ進学し、心理学と哲学を専攻しました。

彼ははサンノゼ州立大学のアジア系アメリカ人研究プログラム、全米日系人市民協会(JACL)、パシフィック・アジアン・コーリション、アメリカ仏教会などでも働いていました。彼が太鼓を始めたきっかけは仏教青年会(YBA)の活動でした。サンノゼ仏教会の開教使ヒロシ・アビコが緊那羅(きんなら)太鼓の演奏を聴いたあと、若い世代のために何か始めるべきではないかと話を持ちかけられ、太鼓グループを立ち上げたのです。以来、サンノゼ太鼓はアメリカでもっとも影響力のある太鼓グループのひとつに成長しました。(2005年1月26日)

ジョージ・アリヨシ

舌足らずの話し方を直してくれた先生 (英語)

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結婚 (英語)

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叔母との養子縁組の可能性 (英語)

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カズオ・フナイ

米国での最初の仕事

一世実業家(1900-2005)

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父の死後の苦しい生活 (英語)

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