ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/548/

緊那羅太鼓の太鼓へのアプローチへ感謝(英語)

(英語) 僕はいかに太鼓が真剣に受け止められているかということにすごくびっくりさせられたんです。太鼓が人生を変えたという意味で。太鼓が人生をかえるんですよ。ある意味で、一種の宗教ですよね。それはもう完成された宗教で、ある太鼓グループの人が「太鼓が私の宗教です」と言ったのを聞いたことがあります。僕にはすごくショックでしたよ。だから僕は、「太鼓ってのは、釘打ちしてあるただの樽に皮が被さってるだけだよ。太鼓を崇拝するなんて、何言ってるんだ!」と言ったんです。本当にびっくりしましたよ。だから僕は緊那羅太鼓があって良かったと思うんですよ。緊那羅太鼓にとって、太鼓は宗教とは別物なんです。

だから僕はインタビューを受けるのはもう嫌なんです。いつも『太鼓の父』だとかそういう話になるでしょう?ちょっと大げさなんじゃないかと思うんですよ。それから『太鼓の巨匠』とかね。一体太鼓の巨匠って何だ?って思うんです。そんな風に僕は思うので、僕らのグループには感謝してるんです。そして困難な状況にあっても、いかに自分を維持していくか、健全で、グループの他の人たちにもオープンでいられるか、そういうことを見つける方法が太鼓なんです。


芸術 ドラム 緊那羅太鼓 音楽 太鼓

日付: 2004年12月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マサオ・コダニ開教使は浄土真宗の三世の僧侶で、アメリカで2番目に結成された初の日系アメリカ人仏教徒による太鼓グループ、緊那羅(きんなら)太鼓の共同創設者です。

コダニ開教使はカリフォルニア州グレンデールで生まれ、第2次世界大戦中はポストンの強制収容所に家族とともに収容されました。戦後、彼の家族はロサンゼルスへ戻り、ワッツと呼ばれるアフリカ系アメリカ人の多い地域へ住みました。彼の家族は仏教徒でしたが、彼の両親は子供たちが社会に簡単に馴染めるようにと東ロサンゼルスのエバグリーン・バプティスト教会へ通わせました。 コダニ氏はセンテニアル高校を卒業後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校へ進学し、東アジア研究の学位を取得しました。在学中、西本願寺のアート・タケモト開教使と親密になり、彼の影響を受け、仏教を勉強するために日本の龍谷大学へ留学をしました。日本で学業を終えた後、アメリカへ戻り、サウスセントラルロサンゼルスの洗心仏教寺に配属されました。 1969年、さまざまな経験を通して、法楽、すなわち仏陀・達磨を楽しむことを目的に、日系アメリカ人仏教徒による組太鼓グループ緊那羅太鼓をお寺のメンバーとともに結成しました。彼らの曲『阿修羅』はアメリカの太鼓レパートリーの中で最もよく使われる練習曲のひとつです。(2004年12月3日)

キシ・バシ

日本人でもありアメリカ人でもある(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人