ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/444/

伝統的太鼓スタイル(英語)

(英語) 太鼓道場を始めた頃は完全に日本のスタイルでやってました。典型的な古臭い感じね。鬼太鼓座 (おんでこざ)を始めた、今は亡き田耕(でん・たがやす)さんは太鼓に多大な貢献をした人で、彼は鬼太鼓座と、後に鼓童を通して太鼓を国際的に広めたんですよ。彼も僕のやり方はすごく古臭いと言ってましたね。化石みたいだって。化石ですよ(笑)。日本の太鼓の先生で、僕のようなスタイルでやってる人はあまりいないんですよ。だから日本に帰ると、僕の(アメリカの)生徒達の作法の方が日本にいる日本人より良いんです。(日本人は)忘れてしまったんでしょうね。僕はアメリカに来た時、年配の一世の人達から(作法を)学んだんです。明治時代に渡って来た一世の人達から学んだから、作法も何もかもがかなり伝統的でしたね。三世や二世はアメリカナイズされてるけど、とてもいい作法が身についてますよ。


カリフォルニア州 ドラム 音楽 サンフランシスコ サンフランシスコ太鼓道場 太鼓 アメリカ合衆国

日付: 2005年1月27日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

北米和太鼓の師、田中誠一氏は1943年生まれ東京出身の新一世です。千葉商科大学を卒業後、1967年にアメリカへ移住しました。移住当初はワトソンビルで苺摘みをするなど農業労働者として働いてました。その後、サンフランシスコへ引越し、1968年にはサンフランシスコの日本町で行われた桜祭りに参加しました。しかし、この時の桜祭りには彼が若い頃日本のお祭りで耳にした太鼓の音が欠けていました。物足りなさを感じた田中氏は、秋祭りの時に、友達で寄り集まり、地元のお寺から太鼓を借り、自ら太鼓を演奏したのです。以後、太鼓を学ぶために、幾度となく日本へ帰国し、そのつど日本で学んだ知識をアメリカの同志へ教えていきました。1950年代に始まった日本での太鼓復興をアメリカに持ち込み、1968年に北アメリカで初の和太鼓道場(学校)、サンフランシスコ太鼓道場を設立しました。以来、彼は何千人もの生徒を教えてきました。

今日、アメリカ・カナダには200以上の太鼓グループが存在しており、その大半はサンフランシスコ道場へそのルーツをたどることができます。田中氏は基本的な太鼓のリズムパターンや動きを教え続けていますが、その教え方は武道が基本になっています。また、彼の太鼓スタイルは、日本のお祭りの伝統に起因していますが、彼自身のアメリカでの体験も反映され、伝統的な太鼓のリズムにジャズ・ラテン・他のリズムなども融合されています。

彼は日本外務大臣表彰や National Endowment for the Arts' National Heritage Fellows Award(米国版重要無形文化財) を受賞しました。(2005年1月27日)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

ファッションとアイデンティティ(英語)

演歌歌手(1981年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

人種や伝統を超えて、人は夢を追うべき(英語)

演歌歌手(1981年生)

ジミー・ムラカミ

政府に対するアニメーション(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

ハーブ・オオタ

エド・サリヴァンの「ザ・オールネイビー・ショ-」への出演(英語)

ハワイ出身のウクレレ奏者(1934年生)

ハーブ・オオタ

『Song for Anna』(英語)

ハワイ出身のウクレレ奏者(1934年生)

ハーブ・オオタ

日本での演奏(英語)

ハワイ出身のウクレレ奏者(1934年生)

キシ・バシ

日本人でもありアメリカ人でもある(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人