ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

竹下 幸男

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

日本人市民としての意識の欠如(英語)

(英語)日本人は市民権とはどういうものか分かっていないですね。僕が自分は日系アメリカ人なんですと言っても、両親が日本人なんだから日本人だよって言われると思いますよ。法律が違うからそういう違いが出てくるんだと思いますが。日本では(日系アメリカ人だとしても、)日本人のように見えるので、たとえ、「ええ、僕はアメリカ人です」って言っても、ほとんどの日本人、典型的な日本人は二世や国外にいるアメリカ人がどんな人たちであるのかという概念を持ち合わせていないんだと思うんです。日本にはたくさんの二世や三世の韓国人が住んでいるけど、法律の違いではなく、彼らは日系韓国人にはなりたくないんだと思いますけど、彼らは決して(日本人にはならないですね)。二世や三世の韓国人は在日韓国人と呼ばれてますからね。だからある意味、アメリカで生まれたからアメリカ人なんだっていうアメリカ人が持つような市民権の概念が無いんだと思います。


市民権 Finding Home(映画) アイデンティティ 日本

日付: 2003年9月11日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

67歳の竹下幸雄氏は、1935年にワシントン州のタコマで洗濯屋を営む山口県出身の一世の父親と帰米の母親のもとに生まれました。太平洋戦争勃発後、竹下一家はフレズノ付近にあるパインデール集合センターに一時的に収容された後、ツールレイク強制収容所に送られました。ツールレイクが転住センター(Relocation Center)から隔離センター(Segregation Center)へ移行した後も、彼の両親がアメリカ政府に忠誠を誓わなかったため、終戦までツールレイクに収容されました。

戦後、ツールレイクを出た竹下一家は日本へ移住しました。彼は日本で公立学校に通い、1958年には経済学士号を手に大学を卒業し、広島県で就職しました。その後、日本ではかなり珍しいことですが、1998年に退職するまでに5回転職しました。職種は主に輸出入業であり、英語でビジネスの取引を行うことが多かったそうです。

現在、彼は日本人の妻と日本国籍を持つ2人の子どもがいます。彼は全米日系人市民協会(Japanese American Citizen League)の日本支部の会員であり、JACLの活動を通して日系アメリカ人に限らず様々な背景を持つ人々に出会う機会があるそうです。また、彼はアメリカ政府から戦時中の日系人に対する強制収容に対しての補償金を受け取りました。それについて、アメリカ政府が未だに自分のことを「アメリカ人」とみなしてくれてるんだと感じたそうですが、彼は「アメリカで生まれた日本人」であると自分自身を表現しています。(2003年9月11日)

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ファン・アルベルト・松本

エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。