(英語)父は消防署に勤めていて、母は専業主婦でした。両親は僕がまだ小さかった頃、よくビーチに連れて行ってくれたんです。僕がまだ1歳か1歳半頃、オムツをしてビーチを駆け回っている8ミリビデオの映像が今でも残ってるんですよ。当時、周りにはまだホテルも何もない時代でね。 父が休みのたびに僕を海岸まで連れて行ってくれていたので、僕は水には慣れていたんです。消防署は週休3日だったので、僕ら一家はよくワイマナロまでキャンプへ泳ぎにいってました。そして僕は、ただの木の断片のような、フィンも何も付いていない管状の小さい板でサーフィンを始めたんです。そのうち、中が空洞になっていてフィンの付いていない12から15フィート位の大きい箱状のものに乗っていた人たちがいて、僕はそれを見ていました。それも結構変わってましたね。僕も一度それを試したりして、その辺からサーフィンを始めるようになったんですよ。
日付: 1999年7月29日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ブライアン・ニイヤ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター