ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/243/

コミュニティにおける日系アメリカ人研究センター (英語)

(英語) 私が係わった理由は、私がコニュニティに設立した日系アメリカ人研究センターがあったからです。民族研究学部は時間割の中で、3単位を週3回という制度になっていたため、やりたいことが全て出来ませんでした。

そこでナンシーと一緒にコミュニティで日系アメリカ人研究センターを始めたのです。建物と教会を借りて、日本語のクラスや会話のクラス、また英語を学びたい一世のためのESL(英語)のクラスなどを始めました。そして月に一回フォーラムを開催し、日系アメリカ人の生活を理解するために必要だと思われることを取り上げました。役所を通す必要もありませんでしたし・・・むろん助成金の申請なども考えた上で日系アメリカ人研究センターという名前をつけたのですが、結局は会員費を取って自分達で運営していくことにしたのです。


サンフランシスコ大学日系アメリカ人研究センター 教育

日付: 2004年1月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジェームス・ヒラバヤシ氏は、20世紀初期に米国北西部太平洋岸に移住した勤勉な農民の息子として生まれました。1942年、当時高校3年生だったヒラバヤシ氏は、パインデール集合センターに一時的に拘留されましたが、その後北カリフォルニアのツールレイクの収容所へ移送、抑留されました。

第二次世界大戦後、シアトルのワシントン大学で人類学の文学士号(BA)と文学修士号(MA)取得し、その後ハーバード大学で博士号(Ph.D)を取得しました。現在はサンフランシスコ州立大学の名誉教授であり、合衆国で初めて設立された民族研究学部の学部長を務めました。そのほかにも、東京大学やアルバータ大学(カナダ)、アーマド・ベロ大学(ナイジェリアのザリア)での研究・教歴を持っています。

ヒラバヤシ氏は、2012年5月1日、85歳で亡くなりました。(2014年6月)

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

隣人の庭で日本語学校を始めた母(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ミツエ・ヤマダ

「ノーーノー・ボーイ」となった兄の理由(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)