ディスカバー・ニッケイ

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ビジネスでの苦い経験

あの、ビバリーブルバードにね、ファーマーズ・マーケットを始めた。パートナーやその人と。だけど、その人が、あんまり良くなかってね。わしが、ママが、4000円。日本からね、4000ドル(円?)送ってくれたのね。自分がみな、払おう思ってるの。あの・・・証券ビル建てんのに、株いれて、人の金で、こうやって。悪い男やった。

I*: お金はどうなったんですか?

お金?お金ねぇ。今度は、あの、4000円渡したやつが、2000円しか返さんと。日本へ帰った。そいでバチあったて、死んでしもうた。死んでしもうたわね。鹿児島の男や。

* “I”: インタビュワー(山本 恵理子)


ビジネス 経済学 経営

日付: 2004年10月14・17日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 山本 恵理子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

カズオ・フナイ氏はカリフォルニア州ロサンゼルスのセントラル・アヴェニューでマーケット(食料品店)を経営していた和歌山県出身の一世です。インタビュー当時は104歳でした。第2次世界大戦が勃発する直前の1941年、日本への帰国を前提に東京に会社を設立しました。しかし、真珠湾攻撃のため日本へ帰国することができなくなり、経済的にも破綻、最終的には家族とともにアメリカの強制収容所へ入ることを余儀なくされました。しかし、このような困難にもかかわらず、戦後はビジネスマンとして成功しました。

2005年3月3日(木)105歳で亡くなりました。(2005年8月16日)

トム・ユキ

第二次大戦中は父のビジネスパートナーが農業ビジネスを管理した(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)