ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1817/

ディズニー vs. ハンナ・バーベラ

それはまったく違う経験でした。まず、かなり大きなエリア、つまり劇場のスクリーンに映し出された映像に答えることに慣れていました。そして当時は、すべてが読みやすく、シルエットで、グラフィックでシンプルかつ直接的に表現されているなど、多くのことに細心の注意を払う必要がありました。9 インチ、10 インチ、11 インチのスクリーンで遊んでいました。これらは、あなたが学び始めたことの一部です。

ある程度の調整が必要でしたし、哲学も多少は変わりました。多少ではなく、ディズニーがかつて作っていたような幻想的な生命感とはまったく違うものでした。それを批判する理由はありません。とてもよくできていました。しかし、彼らが求めていたのは別のものでした。テレビ画面に人々を楽しませ、笑わせ、泣かせる何かを載せるのに、彼らにははるかに少ない資金と最小限の時間しかありませんでした。


日付: 1998年8月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール
巌高本(1925年4月29日 - 2007年1月8日)は、ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラで活躍した伝説のアニメーターで、60年代後半のスクービー・ドゥーのデザインで最も有名です。高校卒業後にマンザナー刑務所に収監された巌は、ロサンゼルスに戻るとディズニーでの仕事にその芸術的スキルを生かし、シンデレラ眠れる森の美女などの古典的なアニメ映画に携わりました。彼はその後、ウィリー・イトウなど他の日系アメリカ人アニメーターの指導にあたり、わんわん物語で一緒に仕事をしました。1962年にディズニーを離れてハンナ・バーベラに移った後も、巌は引退するまでアニメーション制作を続け、シャーロットのおくりもの(1973年)などの映画の制作と監督を続けました。 (2021年6月)
ウィリー・イトウ

ディズニーのデッサンテスト(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

イワオ・タカモト師(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)