ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1814/

初のポートフォリオとディズニーインタビュー

本当のポートフォリオがまとめられているのを見たことがありませんでした。以前はウールワースやクレストのような店がありました。お金がほとんどなかったので、そこに走って行って、安い描画パッドとお決まりの鉛筆を何枚か買いました。そして週末をかけて、そのパッド 2 枚に端から端までページを埋め尽くしました。それが私のポートフォリオでした。

それで、予約日が来るまで待ち、待合室に座るように言われ、そこで座って初めてポートフォリオというものを目にしました。ポートフォリオは見た目が派手なものです。きちんとした服装をした人たちの手に渡っていて、ジャケットとネクタイを締めていました。そして、彼らの会話は私の耳には非常に洗練されていました。本当に、それが私を圧倒したとか、そういう類のものだと言うことはできません。私はそれがそうさせるのを許しません。私はただ、できるだけ自分をバカにして、このことが私に何の影響も与えないようにしたのです。

それから私は中に入って呼ばれ、この2枚のメモ帳を握りしめ、このオフィスに案内されました。その日の面接官はマイク・ネルソンという人でした。彼は「何を持っているか見せてくれ」と言いました。それで私はこの2枚のメモ帳を手渡し、彼はかなり時間をかけてメモ帳に目を通し、パラパラとめくりました。それから「急いでどこかへ行かなければならないのですか」と聞かれ、私は「いいえ」と答えました。彼は「15~20分待っていてくれれば戻る」と言いました。彼はこの2枚のメモ帳を拾い上げて姿を消しました。そして戻ってきて私を見て「月曜日から始められますか」と言いました。言うまでもなく、私は完全に驚愕しました。こんなことになるとは思ってもみなかったので、「もちろんです」と答えました。


アニメーション (animation)

日付: 1998年8月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール
巌高本(1925年4月29日 - 2007年1月8日)は、ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラで活躍した伝説のアニメーターで、60年代後半のスクービー・ドゥーのデザインで最も有名です。高校卒業後にマンザナー刑務所に収監された巌は、ロサンゼルスに戻るとディズニーでの仕事にその芸術的スキルを生かし、シンデレラ眠れる森の美女などの古典的なアニメ映画に携わりました。彼はその後、ウィリー・イトウなど他の日系アメリカ人アニメーターの指導にあたり、わんわん物語で一緒に仕事をしました。1962年にディズニーを離れてハンナ・バーベラに移った後も、巌は引退するまでアニメーション制作を続け、シャーロットのおくりもの(1973年)などの映画の制作と監督を続けました。 (2021年6月)
ウィリー・イトウ

ディズニーのデッサンテスト(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

イワオ・タカモト師(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)