ディスカバー・ニッケイ

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シーブルック農場は日系ペルー人を安価な労働力として支援した

スポンサーとなる家族がいて、仕事があることが、ここに滞在できる条件の一つでした。シーブルック農場は100人から200人の日系ペルー人を雇い、スポンサーのような存在になりました。

彼らは、ヒスパニック系やその他の外国人に対して現在行っているあらゆることを利用しました。非常に安価で、何もかもが法律違反です。安い労働力を得るための手段でしたが、彼らは良い労働力でした。彼らはそのことを知りませんでした。


農場 日系ペルー人 ニュージャージー州 シーブルック農場 アメリカ合衆国

日付: 2019年9月20日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

カズム・フリオ・セサール・ナガヌマ(永沼)は1942年7月28日、ペルーのリマで一世の両親のもとに生まれた。第二次世界大戦前、両親は洗濯業を営んでおり、父はコミュニティの中でもリーダー的存在であった。戦争が始まると、FBIは父親を逮捕し、家族全員がテキサス州クリスタル・シティにある司法省の収容所へ送られた。戦争が終わっても、一家はペルーに戻ることが許されなかったため、一家は収容所へしばらくとどまっていたが、ニュージャージー州のシーブロックバームのスポンサーを受け、収容所を離れ、その後、サンフランシスコの神道教会の教師の援助受け、サンフランシスコに移り住み、一家はそこで仕事と住居を見つけることができた。カズムはデザイン会社を設立し、成功を収めた。(2022年9月)

 

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

戦後、行き場を失った

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

異国感

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

芸術のおかげで、学校での居心地の良さが増した

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人