ディスカバー・ニッケイ

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若い弁護士への助言(英語)

(英語)とてもたくさんあります・・・自らをリーダーと見なすことに文化的な壁があるので、高い地位に達した人たちと話をするようにと言いたいです。アジア系アメリカ人コミュニティで、コーヒーやランチの誘いを断る人を私はひとりも知りません。だから質問したり、指導をお願いしたりするといいと思います。ただ、自分から率先して行動すべきです。

若いアジア系弁護士、特に女性たちに私が伝えている信念についてですが、私は彼女たちに、3回質問するというのがあるでしょうと言っています。最初のステップは、何かが欲しいかと聞かれたら「イエス」と答えることです。次のステップは、あなた自身が何を望んでいるか、彼らに伝えるべきだということです。それができれば、誰かに尋ねてもらうのを待つことはなくなります。自分で伝えるのです。何を望んでいるかを伝えて、それを手に入れるのです。


アジア系アメリカ人 弁護士 (lawyers) 女性

日付: 2019年7月11日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ケイラ・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

2012年よりカリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事を務める。カリフォルニア州ウェストオークランドの多人種地域で育った。第二次世界大戦中、子供だった両親は共に強制収容所に収容されるが、娘が大人になるまで収容所での体験を語ることはなかった。このことはフジエ判事の法と政府に対する見方に影響を与え、弁護士を経て裁判官となる道に導いた。

弁護士として日系アメリカ人弁護士会など、さまざまなマイノリティの弁護士団体や指導プログラムに携わっている。2008年にはアジア系アメリカ人として初のカリフォルニア州弁護士会会長となった。(2019年7月)

A. ウォーレス・タシマ

優等生ではなかった(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

「個人の法律事務所には決して就職できなかった」(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

ミア・ヤマモト

刑事弁護士になる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

ベトナムでの兵役の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

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ミア・ヤマモト

彼女が早く移行しなかった理由

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士