ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1571/

フィリピンでの生活(英語)

(英語)太平洋戦争が始まった頃には2000人ほどの人口だったコミュニティーも戦後は沢山の人が日本に帰国しましたがそれでもまだ多くの人がそこに残っていました。そして野球チームや柔道部、剣道と踊りの小さいグループがあり、お盆祭り行われました。映画館やたくさんのお店があり、賑わっていました。

文民は歓迎されましたが、戦況が厳しくなるとネガティブな出来事が起こるようになり、原住民が攻撃されたり、現地の日本人が襲われて食事を諦めたりなどやりたくないことを強制させられたりということもありました。辛い体験もありましたが、それでも私達がその地をあとにする頃は、コミュニティー内の住民の関係は良かったです。


コミュニティ フィリピン 第二次世界大戦

日付: 2017年7月12日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺美津重、西村陽子、レイトン・オカダ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1938年3月25日にフィリピンのミンダナオ島ダバオでカツジロウとウラ・“ミエ”・ アシザワの長女として生まれる。1945年、彼女が7歳のとき第二次世界大戦で日本が敗北したのをきっかけに家族でフィリピンを離れた後、10年間静岡に住んだ。その後家族はアメリカの市民権を取得。1956年3月にロサンゼルスへ移住し、サワコはアルハンブラ高校に進学し、パサデナシティ・カレッジで学んだ。その後、サンホゼ州立大学に進み、自身の勉強を気前よく支えてくれた恩師との出会いを通して、作業療法士となった。現在はさくらガーデン(元敬老リタイアメントホーム)でボランティアをしている。(2018年3月現在)

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

社会正義のために立ち上がる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士