ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1570/

アメリカの第一印象(英語)

(英語)アメリカに来て最初に見たものはウィルミントンとサンペドロの丘の上に建った住宅街でした。私達はその色とりどりの家々に、大きな庭、そしてそこに停まっている派手な色の車に驚きました。日本では黒か暗い栗色の車しか見たことがありませんでした。親戚の家で冷蔵庫、洗濯機、電動裁縫機、テレビなど私達の持っていないたくさんの電化製品を見た時は感動しました。洗濯物を入れて絞る機械でさえも私達にとっては驚きでした。見たもの全てが新鮮で目を見張るようなものばかりでした。高速道路や、木がほとんど生えていない茶色い土がむき出しの山にもとても驚きました。そのような山は日本では見たことがありませんでした。


移住 (migration) アメリカ合衆国

日付: 2017年7月12日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺美津重、西村陽子、レイトン・オカダ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1938年3月25日にフィリピンのミンダナオ島ダバオでカツジロウとウラ・“ミエ”・ アシザワの長女として生まれる。1945年、彼女が7歳のとき第二次世界大戦で日本が敗北したのをきっかけに家族でフィリピンを離れた後、10年間静岡に住んだ。その後家族はアメリカの市民権を取得。1956年3月にロサンゼルスへ移住し、サワコはアルハンブラ高校に進学し、パサデナシティ・カレッジで学んだ。その後、サンホゼ州立大学に進み、自身の勉強を気前よく支えてくれた恩師との出会いを通して、作業療法士となった。現在はさくらガーデン(元敬老リタイアメントホーム)でボランティアをしている。(2018年3月現在)

エーシー・コオロギ

野茂の人柄(英語)

ロサンゼルス・ドジャース元アジア部門部長

エーシー・コオロギ

野茂による観客動員数の増加(英語)

ロサンゼルス・ドジャース元アジア部門部長

エーシー・コオロギ

ドジャースと日本の関係(英語)

ロサンゼルス・ドジャース元アジア部門部長

上杉 武夫

渡米を勧めてくれた父(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

大友 八郎

娘が日本になじめず、再度アメリカ行きを決意

溶接業を営む新一世(1936年生)

山口 淑子

アメリカの市民権を取ることの利点

新一世ソーシャルワーカー(1931年生)

豊島 年昭

正統派の寿司を広めることの難しさ

寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)

豊島 年昭

寿司の食べ方を教える

寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)

高塩 明

ボーディングハウスでの荒れた生活

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

トム・ユキ

カリフォルニア州サリナスに移民として渡った家族(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

キシ・バシ

両親は新一世(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

日本人がペルーへ移住した理由 (英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

写真花嫁の集団と一緒にアメリカに渡った母(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ミツエ・ヤマダ

日本から到着した母のためにアメリカの洋服を買った父(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)