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フィリピン生まれの引揚者、後にアメリカに移民(1938年生)
(英語)ダバオでは西本願寺の幼稚園に行きました。その後、丘の方に引っ越して、小学1年生から現地の日本の学校に行ったのを覚えています。その場所は日本軍に占領されていたので、私の母が家の地下を提供して、机と椅子と黒板を置いて授業ができるようにしました。
日付: 2017年7月12日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 渡辺美津重、西村陽子、レイトン・オカダ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
1938年3月25日にフィリピンのミンダナオ島ダバオでカツジロウとウラ・“ミエ”・ アシザワの長女として生まれる。1945年、彼女が7歳のとき第二次世界大戦で日本が敗北したのをきっかけに家族でフィリピンを離れた後、10年間静岡に住んだ。その後家族はアメリカの市民権を取得。1956年3月にロサンゼルスへ移住し、サワコはアルハンブラ高校に進学し、パサデナシティ・カレッジで学んだ。その後、サンホゼ州立大学に進み、自身の勉強を気前よく支えてくれた恩師との出会いを通して、作業療法士となった。現在はさくらガーデン(元敬老リタイアメントホーム)でボランティアをしている。(2018年3月現在)
アメリカ人二世と帰米との野球ゲーム(英語)
ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)
米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)
在日三世・剣道家
真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)
日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)
子供の時にみた父の逮捕(英語)
戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)
先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)
第2次大戦中の日本での苦難(英語)
戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)
日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)
第二次大戦中の排日感情(英語)
カナダの一世ビジネスマン(1918年生)
戦時中に取り上げられた運転手としての仕事
笠戸丸移民
政治権力の欠如が収容所の一因(英語)
研究者、活動家(1924-2018年)
アメリカ人になろうとした結果(英語)
東へ移住か渡日かの選択(英語)
日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)
囚人のように思えた収容所生活(英語)
制度化されたシステムの悪影響(英語)