ディスカバー・ニッケイ

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妻のアイリーンとの出会い(英語)

(英語)聞かれたので答えます。質問されたことにはお答えしましょう。いろんな女の子と付き合っていましたが、みんな最終的には、「あなたのお母さんと一緒に住むことなるの?」ということを言い出すわけです。私が母と一緒に住んでいたからです。10年以上、2人だけで住んでいました。

いい歳になってきた僕を、母が心配していたのは分かっていました。「結婚するの?しないの?」とは聞かれなかったけれど、それはちょっとした言動から感じられました。でも、誰かと付き合っていると毎回同じ質問に行きつくので、「ああ、また来たか」と思うのです。将来をどうするかという話ですね。(母との同居を)嫌だとは言われなくても、私は(嫌なんだろうと)感じていました。まあそれはあまり重要ではなく、当時付き合っていた女性は、答えを出すことも、何か言うこともためらい、結婚に踏み切ることにも怖気づいていました。

一方で妻のアイリーンは、我々を紹介してくれた人を通して私以上に私のことをよく知っていました。アイリーンは私の話を聞いていました。紹介してくれた人と私は週に1度は会っていたからです。うちのお客さんでした。いつも冗談ばかり言っていました。それである日、私は「冗談を言ったりからかったりするのはもういい」と言って、彼女の電話番号を持っているかと聞きました。持っていると言うので、「番号を教えて。電話するから」と言いました。そんないきさつでした。


結婚 母親 妻たち

日付: 2015年2月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1921年9月21日、日系移民の両親、イチスケとウメ・フクハラの元にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれる。1927年、ジミーの父は家族を連れてカリフォルニア州サンタモニカに移住し、種苗会社を起業。ジミーはサンタモニカ高校を卒業し、1942年に家族と共にマンザナー強制収容所に送られるまで父の会社で働く。

収容所から早期出所したジミーは弟のジョージと共にペンシルベニア州に移るが、その後60日以内に陸軍に徴兵される。陸軍情報学校に志願し、基礎訓練終了後に東京に派遣され、マッカーサー元師の総司令部(GHQ)の労働局で任務に就く。日本を離れる前、ジミーは両親の親戚を探すために広島を訪問。除隊後はサンタモニカに戻り、4人の兄弟と共に1986年まで種苗会社で働く。(2016年5月)

Howard Kakita
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ハワード・カキタ

妻に放射線障害を打ち明けたことと息子の癌(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

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Monica Teisher
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モニカ・タイシャ―

異人種間の結婚の傾向(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

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