ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1407/

アメリカで働く(英語)

(英語)まず、私のおばの夫、つまりおじは、ショッピング・バッグというスーパーマーケットの有力者でした。社長はおじの友人だったのです。社長は私をアメリカに戻るよう援助してくれて、私はショッピング・バッグで約1か月半働きました。でも英語がわからなかったので、お客さんが私に何かを訪ねる度に奥の部屋に行っていました。何回往復したかわかりません。すぐにうんざりしてしまって、お客さんにも申し訳ないと感じて辞めました。

そんな時、友人がウエストロサンゼルスからやってきました。彼は私に、「どのくらい稼いでるの?」と聞きました。「あんまり」と答えると、「庭師はもっと稼げるから、やりなよ!」と言うんです。だから私はソーテルに行き、庭師のヘルパーを始めました。

それから違う仕事をしました。というのも、緊張と不満が度を超えていたので、庭師は辞めたんです。それからハウスボーイを約1年やりました。英語を身につけようとしましたが、頭がよくないもので、うまくいきませんでした。とはいえお金が必要なので、ソーテルに戻り、トラックドライバーをやってみました。あと小さな個人経営の食料品店で働きました。

私が唯一しなかったのは、食器洗いくらいです。それから最後に、またスーパーに戻り、退職するまで28年間働きました。それがこれまでの人生です。


アメリカ ソーテル ロサンゼルス カリフォルニア 世代 二世 帰米 日系アメリカ人

日付: 2012年1月31日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1929年、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。1931年、反日運動が盛んになる中、子どもの将来を心配した父が、家族全員で日本へ帰国すること決意。生後18ヶ月にして、日本へ渡る。1952年18歳の時、アメリカへ帰国。以来アメリカで生活を送る。現在はカリフォルニア州ローズミード在住。(2014年6月)

サカエ・シゲカワ

地域によって違った差別の状況 (英語)

南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)

スミコ・コザワ

家族経営の花屋で働き、グレタ・ガルボと出会う (英語)

花屋 (1916-2016年)

ウィリー・イトウ

両親(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

大友 八郎

娘が日本になじめず、再度アメリカ行きを決意

溶接業を営む新一世(1936年生)

大友 八郎

アメリカで直面した偏見

溶接業を営む新一世(1936年生)

サワコ・アシザワ・ウチムラ

ロサンゼルスへ移住(英語)

フィリピン生まれの引揚者、後にアメリカに移民(1938年生)

豊島 年昭

2度の3年契約を経てアメリカへ

寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)

豊島 年昭

日系コミュニティの一員に

寿司職人。リトル東京にある「鮨元」のオーナー(1949年生)

高塩 明

初めて来たときのアメリカの印象

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

高塩 明

海外に憧れ調理師免許を取得

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

高塩 明

移住当初の生活

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長

イワオ・タカモト

ロサンゼルスに戻る

ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラの日本人アニメーター(1925-2007)