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新一世実業家 (1927-2016年)
(英語)渡米してから約50年間仕事をしていますが、たくさんのことを学びました。間違いもおかしました。いくつかの成功もありましたが、たくさんの失敗もありました。
過去を振り返り考えると、これは息子にも言っていることですが、僕は人生を通し、正直であろうと努めてきました。それは、僕が1番大切にしている信条です。他人をあざむくことのないよう、ただ正直に、ひたむきに一生懸命働き、努力する。これが僕の人生哲学です。皆さんにも同じように生きてほしいと思います。一方で、僕はこの50年の間に、誰かにだまされたり嘘をつかれたり裏切られたりして大金を失ったこともあります。でもそれは、自分を守る術を持たなかった僕のせいです。将来人にだまされることがあっても、人をだましてはいけません。正直に生きるべきです。
これが、僕が1番大切にしている信条です。僕は大金を失いましたが、快適な生活を送っていますし、人に対して恥じることも借りもありません。税金もきちんと払っています。何一つ後ろめたいことも恥ずかしいこともありません。最高の、気持ちの良い人生というのはそういうものですよね?今、僕は楽しく生きていますよ。
健康のことは自分ではどうしようもありませんが、健康で正直に生きられれば、それがベストです。不正直はいけません。不誠実なことはせず、できるだけ純粋に人生と向き合い、仕事を続けること。働くこと。そうすれば、多くを求めすぎることもありません。これが僕の考えです。
そして、全ての若い人たちにもそうあってほしいと思います。どんな職種でも同じです。正直に、平穏無事でいられるよう務めればそういう人生になるし、全世界がそうなります。ならない訳はないと思いますよ。でも、成功するために急ぎ過ぎたり、もっと成功したい、もっとお金がほしい、もっと楽しみたい、と求め続けると、トラブルに繋がります。自分のペースで、心地よいペースで仕事を続ける。それが最良の生き方だと僕は思います。もっと良い生き方が他にあるかもしれませんが、僕はこのやり方しか知りません。僕はそのように生きてきました。
日付: 2012年2月2日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ハルノリ・オダさんは、北海道で生まれ育ちましたが、第二次世界大戦後、日本を訪れていた日系二世の女性と出会い、結婚し、米国に移り住みました。オダさんはアメリカを嫌悪していましたが、妻のミチコさんに、アメリカの方がより多くの成功の機会があると説得され、そのチャンスにかけてみることにしました。英語力には限界があったものの、オダさんは、園芸業で身を起こすことに成功しました。彼は、この仕事であれば、自分の能力で最大限の成功を手にすることができるだろうと考えたのです。最終的に、オダさんは自らの園芸場の経営を始め、事業を拡大し、その後、オレンジ郡で不動産開発業者として大成しました。オダ氏は、2016年12月14日、91歳で亡くなりました。(2016年12月)
徴兵回避のためアメリカへ帰国(英語)
日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)
祖父のアルゼンチン移住 (スペイン語)
日系アルゼンチン人、三世
日本からアルゼンチンへ
沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)
日本を離れ、いざアルゼンチンへ(スペイン語)
『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)
彼をアルゼンチンに留まらせたタンゴ(スペイン語)
アルゼンチンへの渡航(スペイン語)
借金の取立てにうんざりしブラジル移民を決意
JACTOグループ創設者 (1911-2010)
渡伯初期の生活
見よう見真似で物にした仕事
ブラジル社会に恩返し-不足のテクニコを育成
大戦中の日系パラグアイ人の扱われ方(スペイン語)
二世日系パラグアイ人、研究者
パラグアイの最初の日本人移住地 (スペイン語)
日系人のパラグアイ農業へ貢献 (スペイン語)
両親に内緒で渡米
岐阜県出身新一世。 最近アメリカ市民権を取得。
祖母に説得されて帰加した母 (英語)
医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)