ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1309/

父の第二次世界大戦への出兵(英語)

(英語)徴兵されたのだと思いますが、定かではありません。父は、44歳くらいでしたが、もしかすると志願したのかもしれません。私たちを収容所から解放するための策だったのでしょうか。そのことを父に聞いたことはありません。父は語学学校の配属になり、私は当時の父の書類を全て持っていました。父は、日本語講師が日本語を教えるための全ての教材を添削していました。それで、その仕事が終わると父は解任され、結局通訳になりました。確か、マッカーサーには8人の通訳官がいて、いつでも使えるよう、全員を別の場所に配置していました。平和条約に署名された時、通訳は全員別の船に乗り、父は乗るはずではなかった船に乗っていたそうです。父は、私にマッカーサー元師のサインが欲しいか聞いてきたのですが、一体誰がマッカーサーのサインなんてほしがると思ったのでしょうね?バカバカしいけれど、私は「うん、ほしい!」と言うべきだったのかもしれませんね。(笑)でも、「いらないよ。」と答えました。


第二次世界大戦

日付: 2012年8月27日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: シンディ・ナカムラ、エミリー・アンダーソン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター,ニットータイヤ「Life History Project」の協力。南カリフォルニア大学「Hapa Japan Database Project」による提供。

語り手のプロフィール

テリー・ジャンゼン氏は、1930年7月15日、東京で生まれました。ジャンゼン氏は日本人のハーフで、日本と米国両方で育ちました。第二次大戦中、彼女はポストンの強制収容所に6ヶ月間収容されました。その後、彼女は教員となり、ワシントン州アダムス郡民主党委員会の議長も務めました。 (2013年4月 更新)


*シンディ・ナカムラ氏とエミリーアンダーソン氏によるこのインタビューは、展示「Visible & Invisible: A Hapa Japanese American History」(目立つ、目立たない:日系アメリカ人“ハパ”の歴史)のために行われました。この展示は、南カリフォルニア大学による「Hapa Japan Database Project」との共催により、ニットータイヤ「Life History Project」の協力を得て開催されています。撮影はエヴァン・コダニ氏。

モニカ・タイシャ―

フサガスガの強制収容所にいれられた祖父(スペイン語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士