ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1282/

「ギドラ」の内容(英語)

(英語)僕らは単なるジャーナリストではありませんでした。少なくとも僕らの中にジャーナリズム専攻はいませんでした。僕らは書くことが好きでした。絵を描くことが好きでした。でも、僕らは活動家だったので、自分たちが記事にしていた活動に参加しました。デモや地域の老人を助ける活動、健康祭りの開催、何でもやりました。マンザナールに行くこと、市全域の反戦デモに行くこと、ウンデット・ニーに行くこと、どんなことであれ、率先して参加しました。

それから僕らは、時として、グローバルな、または大局的な視点で物事や社会を捕え、社会はどのように変えることができるか、また、自分たちはその変化にどのように関わることができるか、考えることもありました。

そしてまた別の時には、僕らは非常にローカルでした。コミュニティの麻薬汚染について語り、教育制度の中の高校生について語り、継続中の社会活動について語り、若者の間のギャングの現状について語りました。ですから、活動はかなり地元に根ざしており、それらは僕らの経験や、互いに共有できる教訓となりました。


コミュニティ アイデンティティ

日付: 2011年9月29日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・クロミツ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マイク・ムラセ氏は、弁護士、活動家、行政官、作家、写真家であり、福祉や社会変革活動、教育、行政、政治に40年以上にわたり携わってきました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の学部生時代には、アジア系アメリカ人研究センター(アジアンアメリカンスタディセンター)の立ち上げメンバーとなり、その後、UCLA、南カリフォルニア大学、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で民族学(民族研究)を教えました。

マイクのアジア系アメリカ人コミュニティとの関わりは深く、リトルトーキョー・サービスセンター(LTSC)の立ち上げに中心メンバーの1人として携わりました。このセンターは、リトルトーキョー、ひいてはロサンゼルス全体の日系アメリカ人コミュニティの社会福祉や地域経済発展のために設立され、マイクは、最初の5年間センター長を務めました。また、彼は、日系福祉権協会、リトル・トーキョー人権協会、補償を求める全国連合(NCRR)といった団体を支持し、著書には、「Little Tokyo: One Hundred Year History」があります。2006年、マイクはLTSC運営チームの一員としてセンターに戻り、現在サービスプログラム部門長を務めています。(2012年8月)

モニカ・タイシャ―

日系コミュニティ最大のイベント、敬老会(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

社会正義のために立ち上がる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。