インタビュー
移住地教育とパラグアイへの思い
日系人として、特に、まぁ移住者の人たちが、戦後やはり厳しい時代を乗り越えるために、外国への移住を考えられた。そこで、移住者っていうやはり立場っていうのは、やはり日本人であるっていう日の丸、日本人だっていう日の丸を背負ってるっているこう、その移住者の先輩の方々の思いをやはり移住地の中で教育としてどう考えていくか。これはやはり現地で生まれる人はみなパラグアイ人になる。しかし、日本国籍も保留ができる。そうした二重国籍の保留の上で、やはり日本語で日本文化を、いい所はやっぱり残すべきだろうと。たぶん南米でもパラグアイが一番日本語を大事にされてると思いますね。
ま、忙しい時には、あんまりそれほどないんですけれど、やはり仕事がちょっと落ち着いたりすると、やっぱりこうパラグアイの生活、やっぱり47年、やっぱりもうしみについてますので、家族だとか、孫が8人もおったりしますし、やはり、帰りたいなっていう気持ちもあったり、目が覚めたら夢でないかなと思うような時もありましたけど。そういう、まぁ気持ちっていうのは、やっぱり自分にとって、やっぱりパラグアイっていうのが、まぁ、第二のふるさとであっても、生活の上ではやはりパラグアイっていうふうに一番思いますね。はい。
日付: 2009年3月24日
場所: 日本、東京都
インタビュアー: アルベルト・松本
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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