ディスカバー・ニッケイ

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世界で注目されるペルー料理

それからペルーっていうのは、1531年にスペイン人のピサロっていうのが攻めてきたわけだけど、それ以来ね、プレインカ・インカ。それからあとね、スペイン、イタリアね。それから、もちろん中国とか日本とかいろんな文化が入ってきて、融合してて、そのおいしいところだけを使った料理っていうのがいっぱいあるわけです。これはうまいに決まってるわけです。それから、我々料理人が一番大切に思うことは、やっぱり材料なんだけど、その材料がすぐ身近にある。豊富にある。そういったおもしろい文化が全部融合してる。これは、料理がまずいわけないわけ。今までね、ペルー料理っていうのは、みんなね、あんまりね、知らなかったんだけど、今ものすごく注目されてる。

で、私がついこの間、私はスペインのサラゴサから帰ってきたんだけど、要するにもう報道陣か何かいっぱいで、要するにみんな知りたがってる。バルセロナでも同じ。もう満員です。ですからそういった意味では、ペルー料理、これからね、知られていくと思います。で、松久さんも、彼は基本的にはもちろん日本料理なんだけど、彼はやっぱり一番最初にやったってことはラテン料理って言われてるけど、ま、ペルー料理ですね。それが、まぁ、一番基盤になってると思うんだけど。そのぐらいペルーの食文化っていうのは面白い。


料理 料理 (cuisine) 食品 多国籍料理 ペルー

日付: 2007年4月18日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1953年7月11日、宮崎県西都市の老舗和食料理屋の4代目の息子として生まれる。6歳のころからレストランの厨房で遊んでいた小西氏は、11歳の時修業のため他の料理人候補たちと共に厨房の手伝いをするようになる。その後、16歳で上京し、1971年に料理屋「ふみ」のシェフになる。

1974年、アメリカや日本などで和食創作料理で知られている「NOBU」のオーナー松久信幸と共にペルーへ移住。「Matsuei」という和食レストランで10年間シェフを勤めた後、リマ市内のシェラトンホテルで「Wako」と「Toshiro’s」を開店。2002年には、サンイシドロ地区にある「Sushi Bar Toshiro’s」のマネージャーも勤めるようになる。

レストラン経営の傍ら、San Ignacio de Loyola大学でも教鞭を執っったり、世界各国の料理フェスティバルへも参加し、創作料理「ペルービアン・フュージョ ン」(日本とペルーの創作融合料理)を紹介し、数々の表彰を受ける。2008年には、ラテンアメリカに定住している日本人シェフでは始めて、日本政府より農林水産大臣表彰を受賞した。(2009年10月)

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ジミー・ナガヌマ

ペルーから米国へ強制連行(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

ペルーでの子供時代の思い出(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)