ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1119/

チャンカイ文化に魅せられた天野芳太郎

ですから、あの人いつか、ある博物館で、こう何か本をめくってたら、釜のあとのあるところが、チャンカイにあるってっていうことを発見して、それじゃあ行きましょうって。

… 釜はあの人が欲した、見つけたような釜は見つからなかったんですけども、織物がすばらしい。それから、土器はすごく、何て言うんですかあの、地味で、きらきら、こうね他のナスカとか、モチェか、ああいうきれいなあれじゃないんですけども、日本の素朴であるけれども、すごくノーブルなところがあって、日本ととっても、何て言うんですか、感が、美的感覚が似てるっていうのでね、すっかりあの人、日本のあれ、よくいろんな博物館にも行って見てるから、天野そういう素養があったんですね。

それでもう、すっかり、チャンカイに魅せられて。これこれって。何かちょっとこう変形してても、わざとあれして、そこによさをこうね。えぇ。ちょっと外国人はよくそれが分からなかったらしいですけれども、渋いんですよ。あのきらきらきらきらしたきれいさのもありますけども、特に何か、日本でも約500年ぐらい前の、織部焼っていうスタイルがあるんですね。その当時のリース(?)にずいぶん似てるっていうので。日本的な美的感覚って天野言って。そう、それで、すっごくこう愛したんですね、チャンカイ文化を。


考古学 チャンカイ文化 南アメリカのインディアン ペルー 天野芳太郎

日付: 2007年4月18日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

天野美代子(旧姓:渡辺)はリマ市生まれの日系二世。1954年、実業家・アンデス文明研究家の天野芳太郎氏と結婚。1964年5月には、故夫芳太郎氏とともに、リマ市ミラフローレス区レティロ街に天野博物館を竣工し、8月に開館。現在は、故夫の意思を引き継ぎ、芳太郎氏の私蔵をもって設立され、チャンカイ文化の研究で知られる天野博物館の館長を務める。 (2009年10月)

阪根 博

天野芳太郎の南米進出

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

研究のためにビジネスに力を入れた天野芳太郎

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

戦後ペルーへ戻った理由

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

捕虜交換船で日本へ帰国

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

チャンカイ文化を選んだ天野芳太郎

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

世紀の大発見、シクラス

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

日本人としての強いアイデンティティ

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

フジモリ元大統領の選出をサポートしなかった日系コミュニティ

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

フジモリ元大統領にみる戦前と現代のペルー社会の違い

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

ペルーの一般大衆に選ばれたフジモリ元大統領

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

日系コミュニティがみるフジモリ元大統領

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

天野博物館を通して日本のよさを世界へ伝える

天野博物館事務局長(1948年生)

ジーン・玻満子・シュナイダー

捕虜交換船で戻ってきた父

戦争花嫁(1925年生)