ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1029/

より良い生活への誓い(英語)

(英語)才能がいくらあっても、一人でやったのでは大した事でないし、感心できるものでもありません。個人プレーを信じる人もいると思いますが、それは違うと思います。チームワークが大事なのです。私自身もいつも大きなチームの一部だと感じていましたし、いつも・・・他には、私達は戦闘に行く前に話し合い、戦争から解放されたら又は市民生活に再び戻ったら、ここ(世界)をより良い場所にしようと、真剣に誓い合いました。沢山の人達が「何故あなたが全部のプロジェクトにかかわるですか?」と聞きますが、その理由は(人々の)生活をより良く、そして(世界を)より良い場所にするためなのです。


第100歩兵大隊 第442連隊戦闘団 軍隊 (armed forces) 退役軍人 (retired military personnel) アメリカ陸軍 退役軍人

日付: 1995年8月28日

場所: 米国、カリフォルニア州

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ヨンオク・キム大佐(米国陸軍退役軍人)は、第442連隊戦闘団第100歩兵大隊の一員として第二次大戦を戦い、叙勲された退役軍人であり、コミュニティリーダーとして多くの人々に尊敬されています。キム大佐は、1919年カリフォルニア州ロサンゼルスの朝鮮系移民の家庭に生まれました。

戦争の勃発と共に、彼は日系二世のみで構成された第100歩兵大隊の一員となりましたが、軍は、キム大佐と日系人の間に摩擦が生じることを懸念し、別部隊への異動を提案しました。しかし、彼は日系も朝鮮系も同じアメリカ人である、と主張し、その提案を拒否しました。生まれながらのリーダーとしての才覚と戦場での鋭い直感力、キム大佐の戦場での偉業は伝説的でさえあります。

キム大佐は、朝鮮戦争で再び戦地へ戻り、マイノリティとしては初めて大隊長に任命されました。1972年に退役した大佐は、殊勲十字章、銀星章、2度の青銅星章、3度のパープルハート章、フランス政府からの戦功章を含む19の勲章を授与されました。

後年、キム大佐は、ゴーフォーブローク教育基金、全米日系人博物館、韓人健康情報センター、韓国系アメリカ人連合など、数多くの団体の立ち上げを支援し、アジア系コミュニティに貢献してきました。キム大佐は、2005年12月29日癌のため、86歳で亡くなりました。(2008年8月8日)

ススム・“スス” ・イトウ

陸軍に配属(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

イタリア人の気前のよさ(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

ハワイと本土出身者の敵対関係(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

失われた大隊の救出(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

戦後母の元に帰る(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

復員兵援護法を利用して博士号を取得(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

上司の招きでハーバード大学の教員に(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

心の平穏を得る(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)