第3回 母を殺した国の兵として -水野ハリー義徳さん-
第二次大戦中、多くの日系人が「敵性外国人」として強制収容されたが、同時に、多くの日系人が米国の兵士として戦場に赴いた。強制収容所に親を残したまま、そこから志願して兵役に就いた日系の若者たちもいた。彼らは、その屈折した心情を晴らすかのように、戦場で数々の殊勲を上げたが、第二次大戦後、米陸軍の軍属(アーミー・シビリアン)として日本で働き、軍事情報部(MIS)部員として朝鮮戦争に従軍した水野ハリー義徳さん(83)=ユタ州ビンガム出身=の場合、屈折の度合いはさらに大きかったのではないかと思われる。小さいころから仏教徒として育てられた水野さん。米軍による空襲で母親と妹が殺されたことを知った上で、それでも「アメリカには恩がある」とい…