Laura Honda-Hasegawa

Laura Honda-Hasegawa nació en São Paulo, Brasil en 1947. Trabajó en el área educativa hasta el 2009. Desde entonces se ha dedicado exclusivamente a escribir, lo cual es su gran pasión. Ella escribe crónicas, historias cortas, poemas y novelas, todos bajo una perspectiva nikkei.

Última actualización en septiembre de 2018

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デカセギ・ストーリー

第二十七話(後編) 天からの贈り物

前編を読む >> ひらりちゃんへ こんにちは。徳永涼子です。おばあちゃんです。 突然でびっくりしたでしょう。全然お返事しなくて、本当にごめんなさい。 ひらりちゃんが書いてくれた手紙(全部で22通)は全部読みました。写真もクリスマスカードも、大切にしまってあります。おばあちゃんの宝物になっています。 どうして、今まで一度も返事してくれなかったのかと聞きたいでしょう。 ごめんね。いろいろあったんです。まず、ひらりちゃんのお父さんのレオが事故で亡くなった後、立ち直るのにすごく時間がかかったからです。さらに、その間に大変な出来事がいろいろと起こったのです。 お父さんがお店のお手伝いをしてくれていたのは知っていると思うけど、大分前からうまくいってなくて、2008年、ついにお店を閉めることにしたの。でも心労がたまったひらりちゃんのおじいちゃんは半年間入院してしまったんです。ちょうどその頃、ひらりちゃんが日本語の手紙を送ってくれるようになったのよ。おじいちゃんはそれを読んでとても喜んでました。 ひらりちゃんの手紙は、おじいちゃんを癒してくれ、闘病の励みにもなりました。手紙があったからこそ、おじいちゃんは病気を早く治そうとくじけることなく頑張ることができたんです。お医者さんや看護師さんに、思った以上に回復が早いと驚かれたくらいです。 退院の日、おじいちゃんは「ブラジルに住ん...

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デカセギ・ストーリー

第二十七話(前編) 天からの贈りもの

わたしの名前は「ひらり」です。珍しくて、いい名前ですって?みんながそう言ってくれます。なんで「ひらり」って? ママが選んでくれました。日系ブラジル人のママは高校を卒業して、すぐに日本へ出稼ぎに行きました。どうしても大学へ進みたかったので、2年ほど日本で働いて学費を作り、ブラジルで大学へ行くつもりでした。 ブラジルの田舎町で生まれ育ったママにとって、日本の都会の生活は、喜びや期待、不安、そして、戸惑うこともありましたが、人生で一番楽しい時期だったと今でも言っています。 まず、ママが日本でハマッタのは、テレビドラマでした。工場の仕事は大変だったけれど、土曜日の朝を楽しみにしていたそうです。初めて見たドラマは、NHK連続テレビ小説「ひらり」でした。わずか15分間の放送でしたが、ママを夢の世界に引き込んでくれました。 「いつか、結婚して女の子が生まれたら、名前は絶対『ひらり』にしよう!」と、その時決めたそうです。 日本に着いたのは1993年、帰る予定の2年半が経ちましたが、生活が充実していたので、ママは日本語をもっと勉強したいと、語学学校に通い始めました。 日本語教室にはいろんな国からの生徒がいて、にぎやかでした。先生はとても丁寧に教えてくれたので、ママはますます勉強に励みました。ある日、同じ学校で英語を教えている男性を紹介されました。その人は、ママがブラジル出身だと知る...

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デカセギ・ストーリー

第二十六話(後編) 「帰ってきちゃダメ!日本で頑張れ!」

前編を読む >> 残業を終え、ケイは家に戻った。郵便受けを開けてみるとチラシでいっぱいだった。「日本語が読めたらいいんだけどなぁ」と一枚ずつ見ていると、一通の手紙が届いていた。 急いで家に入り、灯りをつけて差出人見ると、母親からだった!「えっ!?カアさんが手紙を?珍しいこともあるもんだ!」と、早速封を切った。 写真が一枚だけだった。「えっ!?サクラの木?カアさんがエリザを抱いて写ってる!ブラジルにサクラなんてあったっけ!?」 写真の裏を見ると「帰ってきちゃダメ!日本で頑張れ!」と大きく書いてあり、つい吹き出してしまった。 「カアさんらしいなぁ!話をよく聞いていないんだから!僕、一度もブラジルにすぐ帰るなんて言ってないのに!あと2年はここで頑張って、それからみんなを迎えに行くって、電話で言ったのに!!」 その時ふと、「カアさんにまだ言ってないことがあるんだ・・・」と気が付いた。 みんなを迎えに行くと電話では言ったが、その「みんな」のなかに妻のクリスティーナは入っていなかった。母には言えなかった。 実は、ケイとクリスティーナの結婚は初めからうまくいってなかった。ケイが仕事を失った頃が最大の危機だった。 日本に出稼ぎに行くことをきっかけに、ケイはクリスティーナと別れる決意をした。父には話したが、母には黙っていた。しばらくは本当のことを言うまいと。なぜなら、ケイが仕...

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オハヨウ・ボンディア II

わたしも欲しい、日本の生地!

9月21日、ディスカバー・ニッケイに掲載されたミア・ナカジ・モニエさんのストーリーを読んで、とても感動しました。ミアさんが日本の生地専門店をみつけ、お母様と一緒にそこのソーイング教室に通い、ふたりでいろいろな物を作っていると読んだとたん、私と母の人生が重なりました。「あぁ、私たちにもこのような時があったわ」と、懐かしく振り返りました。 母はサンパウロ州の農家に生まれ育ちました。貧しい生活にも拘わらず、子供の頃からいろいろなアイディアを実行し、毎日を楽しんでいました。例えば、古着をほどいてエプロンや帽子や小物入れを作ったり、トウモロコシの皮で弟たちのぞうりを編んだりしていました。私と違い子供の頃からとても器用だった母は、不器用な私に洋裁を教える気はなかったようです。 しかし、1964年、母の勧めで、私は高校の帰りにブラジル人の先生のもとで洋裁を習い始めることになりました。しかし、私は全然興味を持てず、母も「やっぱりブラジル人の教え方は違うので面白くないならやめなさい」と言ってくれたので、すぐに止めてしまいました。 それから10数年たった1980年代、そんな私にも裁縫好きになるある出会いがありました。サンパウロに在住の日本人の方が、日本の生地専門店を紹介してくれたのです。日本の企業が多いJardinsという地域にあったその店は、ブラジル人や日系人にはあまり知られておらず...

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デカセギ・ストーリー

第二十六話(前編) 「帰ってきちゃダメ!日本で頑張れ!」

目覚し時計が鳴ると、ユリカはすぐに起きた。毎朝、アラームが鳴る前にすでに目が覚めている。そしてここ一か月、起きるといつも「今日こそ手紙を書こう」と思う。しかし、いまだに手紙を書けずにいる。 側のベッドを見ると、孫のエリザちゃんがすやすやと眠っている。 「今日も発作が起こらないでよかった!」 窓のカーテンを開けると、外はまだ薄暗い。そういえば、1ヵ月前も外は暗かったなと、ふと思う。 ドアを開けると、番犬のリッキが妙に唸っていた。見ると、玄関にイヤリングの片方が落ちていた。「これはクリスのだ。でも、なんでここに?」 悪い予感がして、嫁のクリスティーナの部屋へ駆けつけた。一見したところ、何にも変わったことはなかった。しかし、クローゼットを開けてみると、洋服のほとんどがなくなっていた。靴や旅行用のバッグもなかった。 1か月前、「初めてではないから、来週ぐらいに戻って来るだろう」と、クリスティーナが帰ってこなくてもたいして心配していなかった。 ところが、今回は1ヵ月経っても帰って来なかった。その間、連絡がきたのは一回だけだった。「元気? わたし、今、病院の同僚とマセイオに来てるの。エリザのこと宜しくね」。それっきりだった。 台所で朝食の準備をしながら、クリスティーナからの電話のことを思い出して、「手紙を書くのはよそう!」と決めた。 ユリカは58歳。夫は63歳で、定年を...

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