Laura Honda-Hasegawa

Laura Honda-Hasegawa nació en São Paulo, Brasil en 1947. Trabajó en el área educativa hasta el 2009. Desde entonces se ha dedicado exclusivamente a escribir, lo cual es su gran pasión. Ella escribe crónicas, historias cortas, poemas y novelas, todos bajo una perspectiva nikkei.

Última actualización en septiembre de 2018

identity ja pt

デカセギ・ストーリー

第二十九話 デカセギの歌

エリックとエミリーは双子の兄妹。5歳のときに両親が離婚し、父親がふたりを引き取った。その2年後、父親が日本へ働きに行くことになり、父方の祖父母がブラジルでふたりの面倒を見ることになった。 祖父は日本食品店、祖母は美容室をそれぞれ営んでいたので忙しかったが、エリックとエミリーは愛情たっぷりに育てられた。 日系二世の祖父母は日本の歌が得意で、エリックとエミリーは小さい頃から日本の童謡や歌謡曲を歌っていた。 エミリーは地元のちびっ子のど自慢大会に出たこともあったが、エリックの方は、本番になると動けなくなるほどパニック状態になってしまうので、人前で歌うのは無理だった。 ふたりは、毎年、父親が休暇を取ってブラジルに戻って来るのを楽しみに待っていた。小学生の頃は、日本のおもちゃとか色鉛筆とかゲームを貰うのが楽しみだったが、中学生になるとお土産より父親と一緒に出かけるのを楽しみにしていた。 積極的なエミリーは父親に「ショッピングへ行こう」と言って、洋服やアクセサリーをたくさん買ってもらい、大好きなスイーツを食べて大満足だった。 シャイなエリックは、自分の意志をはっきりと伝えられず、ふたりに付いて行くだけだった。もちろん、妹と同じように洋服を買ってもらいはしたが、エリックは他に父親と一緒にやりたいことがあった。祖母はそれに気付いて「明日は動物園に行こうね!エリックが楽しみにしてい...

lea más

migration ja pt

デカセギ・ストーリー

第二十八話(後編) 27年ぶりの里帰り

前編を読む >> シバタ・マサヒロ、46歳、日本での生活は25年。生まれ育ったプレジデンテ・プルデンテに戻ったのは27年ぶり。 町は思っていたより変わっていなかった。「自分のことなど覚えている人なんて、もう居ないだろう」と思いきや、誰かが声をかけて来る。 「あんた、わしのこと覚えてる?キヨシのばあちゃんだよ」 「まぁ、ちっとも変わっておらんね!」 「『ファミリア1』も一緒?」 「どう?プルデンテはあれから変わったでしょう?」 「日本の方と結婚したんですってねぇ?おめでとう!」 「あんた、うちんとこのサブちゃん覚えてる?サンパウロに行ってしまったんだ」 「いいなぁ!日本で暮らしたいなぁ」 「まさか。ブラジルに戻って来たんじゃないよねぇ?」 「ブラジル『ノン・タ・ボン2』よ!」 「家に遊びに来なさい!『シュハスコ3』で祝いましょう!」 マサヒロは驚いた「自分のことを、みんなが覚えてくれているんだ!」と。 そして、反省した。正直なところ、ブラジルに戻る気はなかったのだ。 19歳でサンパウロに移り住み、2年後には日本へ働きに行った。 新しい土地にすっかり馴染んで、充実した日々を送っていた。 サッカーが大好きなので、仕事場の仲間とチームを組み、その後、デカセギの子供たちのチームを作り、そこのコーチを務めた。ある日、ひとりの男の子が足首を捻挫して、病院へ...

lea más

identity pt

オハヨウ・ボンディア II

No Brasil sempre fui “a japonesa”, mas em Portugal virei “a brasileira”!

Outro dia li “Astro”, escrito por Hudson Okada e publicado neste site e, na mesma hora, lembrei um fato ocorrido comigo anos atrás. Nasci na Capital de São Paulo, filha de pai japonês e mãe nikkei filha de imigrantes japoneses. Portanto, minhas feições são de uma japonesa, tanto que quando estou no Japão, enquanto não abro a boca, todos pensam que sou japonesa nata. Sim, porque o nikkei (pelo menos nós brasileiros) sempre acaba se traindo pela pronúncia um tanto peculiar ao falar japonês. Durante...

lea más

community en ja es pt

Historias nikkei de Oshogatsu 2017 - Parte 1

En nuestro boletín electrónico del mes de enero, Discover Nikkei publicó un aviso solicitando historias de Oshogatsu. Habíamos pedido a nuestros lectores nikkei de todo el mundo que nos muestren, a través de fotografías y palabras, cómo dieron la bienvenida al Año Nuevo. Hemos recibido varias historias en inglés, japonés y portugués. Una de ellas, escrita por Justin Inahara (inglés), era tan larga que tuvimos que publicarla de forma separada. El resto de historias están reunidas a continuaci&oacu...

lea más

migration ja pt

デカセギ・ストーリー

第二十八話(前編) 27 年ぶりの里帰り

「マッサが帰ってくるんだって!」 「えっ!?シバタさんとこの?」 「そう。三男のマサヒロが帰ってくるんだって!」 「何年ぶりかしら?」 「20数年かねぇ?」 マサヒロが生まれ育ったプレジデンテ・プルデンテを後にしたのは1990年5月頃、19歳だった。 子どもの頃は、両親と兄二人、家族5人で暮らしていた。学校の帰りには友達と原っぱでボールで遊んだり、凧をあげたり、自分の家にみんなを誘いおばあちゃん自慢のぼた餅を一緒に食べたり、夜は母親とテレビを見たりした。とても幸せな日々だった。 しかし、マサヒロは8歳の時、人生最初の転機を迎えた。母親が病気で亡くなってしまい、なにもかも変わってしまったのだ。 当時、父親は洗濯屋を営んでいて、朝から晩までとても忙しかった。母親は子どもの頃から心臓が弱かったので、家事の全ては母の母、つまり、マサヒロのおばあちゃんがしていた。そのため、おばあちゃんは朝から夕方まで家に手伝いに来ていた。 元々病気がちの母親だったけれど、発作が起こって一ヵ月後、帰らぬ人となったことは家族にとって衝撃なできごとだった。まったく先が見えない状態だった。 おばあちゃんは「アケミは最後まで病気と戦い、今は天国でみんなを見守ってくれているのよ!こんな悲しい顔を見たら、がっかりするわよ!」と、みなを励ましてくれた。 時間の経過とともに、生活は徐々に前の状態に...

lea más