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5th Annual Imagine Little Tokyo Short Story Contest

喜寿の手習い

夫の7回目の命日を3日後に控えた一月半ばのその日、和子バーチャンは朝から機嫌が悪かった。いつもの通り、午前5時に起きた。老人の一人暮らしで、仕事している訳でもなく、気ままな生活なのだが、長年の習慣で、目覚ましがなくても自然に眼が開く。ベッドの上で身を起こした途端に、身体にかすかな痛みが走った。激しい痛みではない。右脇腹が疼いた。「あ、雨だな」と呟きながら、洗面所に入り、窓のカーテンを開けると、案の定、外は雨だった。まだ時間が早いせいか、もやと雨が混じった乳白色が家の周りを覆っていた。静かな小雨がシトシトと窓を叩いていた。

「まるで私の体は湿度計なんだから」とまた一人で呟いた。かすかな痛みは7年前の交通事故の後遺症である。助手席側の扉に頭から腰まで激しく打ち付け、肩や腰の骨にひびが入り、右の肋骨3本が折れた。いつもは何の支障も感じないが、雨の日だけは事故を思い出させるかのように、身体が疼く。奥深いところからじわっと上がって来る疼きである。整形外科の先生によると、「いつかは消えますが、大分年月は掛かります」とのことなので、「治る頃には私の方が先に死んでるわ」と和子バーチャンは思っている。

彼女は雨には良い思い出はない。特にこの日の雨には歓迎できない理由があった。それはこの日の正午からリトルトーキョーの禅宗寺のお茶室での茶会の予定があったからである。それもお茶仲間たちが彼女のために特別に企画したものだった。彼女の喜寿(77歳)を祝うお茶会で、彼女が正客(お茶会の主人公)を務めることになっていた。彼女の誕生日は2月1日なのだが、会場の都合で、少し早めの集いが計画されていた。

「テレビの天気予報は曇りだとは言っていたが、雨だとは言っていなかった。最近大分天気予報も正確になったと思っていたのに、やはり外れることもあるんだ。雨だとなると、傘に雨用の草履、それに雨合羽も準備しなきゃ。雨合羽なんて長年着ていないから、たたみじわも伸ばさなくっちゃ。やれやれ」と、彼女は呟いた。洗面台の鏡にはこの7年ですっかり白くなった頭としわの増えた顔が映っていた。中肉中背で少し太り気味な体躯だけは変らない。

夫の命を奪い、和子にも体の後遺症以上に心の大きな後遺症を残した交通事故が起きたのは2011年1月20日のことであった。信じられないことに、その日は現在の和子の年齢と同じように、夫である純一の77歳の誕生日だった。喜寿を祝い、レドンドビーチに住む息子の鉄郎夫婦とシリコンバレーに住む娘の美和がリトルトーキョーのホテル内にある「千羽鶴レストラン」でささやかな祝宴を開いて呉れた。身内だけの気の置けない夕餉である。鉄郎夫婦の娘、アキ(当時9歳)と息子、ケン(当時6歳)を含め、7人での笑い声の絶えない賑やかで楽しい時間だった。鉄郎の妻はケイと言った。日系三世だったが、日本での留学経験もあり、日本語も上手だった。孫二人も無邪気で明るく、子供の頃、ベービーシッターしていた関係で可愛さは限りなかった。

満ち足りた楽しい時間が終わり、純一と和子はハーバーフリーウェイに乗り、ガーデナの自宅を目指した。ホテルを出た頃は小雨だったが、だんだん雨足が強くなった。しかし、車内の二人は最高に幸せな気分だった。至福の時間を再度反芻していた。アキやケンは自分達が描いたジーチャンの肖像画を贈って呉れ、鉄郎夫婦は暖かいジャケットを贈って呉れた。美和からの贈物は純一と和子を驚かせた。それは純一が長年欲しがっていた立派な尺八だった。純一の数少ない趣味の一つが尺八だった。かなり高価なものである。「バーチャンにも一緒に上げる」と言い、これまた新しい三味線を和子にも贈った。美和はグーグル(純一ジーチャンは最後までグルグルと呼んでいた)に就職し、かなりの高給を得ていた。美和いわく「会社の株が値上がりし、持っていた従業員株を少し売ったの。だから心配しないで」とちょっぴり誇らしげだった。

「純一さん、私達、良い息子や娘、そして素晴らしい嫁や孫に恵まれて、本当に幸せね。米国生活も35年になるけど、頑張った甲斐があったね。これからも仲良く一緒に楽しい老後を過ごそうね」と和子が言うと、純一も「そうだね、和子ちゃん、感謝しようね」と言い、にっこりと頷いた。それが和子が聴いた純一の最後の言葉になった。

フリーウェイをレドンドビーチ通りで降り、西に向かった。雨は激しくなり、ワイパーも左右に忙しく揺れた。ノーマンディー通りの交差点を走り抜ける時だった。赤信号にも関わらず、左から突然一台の赤い車が飛び込んで来た。激しい衝撃で、純一の運転する車は大きく吹き飛ばされた。和子の記憶はそこで終わっている。彼女は意識を失った。2日後、病院のベッドの上で目覚めると、顔のすぐ上に鉄郎の青ざめた顔があった。周りには心配そうな表情のケイと美和がいた。不安がよぎった。「ジーチャンは?」と聞くと、鉄郎が静かに顔を左右に振った。

和子はこの世の不条理を呪った。至福の時間が一瞬にして地獄に変わった事がどうしても理解できなかった。神仏の存在を疑った。夫の死の翌々月、和子は更なる世の不条理を実感した。それは東日本大震災の津波のニュースだった。津波に妻と息子と娘と孫を奪われ、放心状態の老人の姿がテレビに映っていた。その夜、和子はベッドの中で泣き明かした。老人を始め、多くの犠牲者や遺族の衝撃や悲しみが和子の胸にオーバーラップした。妻だけでなく、家族全員を失った老人の姿は、それ以後、和子の胸から去ったことはない。和子は毎年3月初めにリトルトーキョー近くのLAPDで行われる東日本大震災追悼式典にはケイの運転で、毎年参加し、慰霊の献花を続けている。

今から振り返って見ると、最初の2年間は暗闇の中にいた感じがする。鉄郎やケイも「あの頃はバーチャンはまるで鬱病患者のようだった」と言う。その後は一種の諦めと、子供達や孫達の思いやりや優しさに包まれて、少しづつ、日常の生活が出来るようになった。現在では夫との思い出が残るガーデナの家で独り暮らししながら、淡々とした日々を送っている。しかし、以前の夫と二人で早朝から毎日明るく元気に過ごした日々のエネルギーはない。遠い昔の記憶になった。心は消極的になっていた。喜寿を迎えた後も、きっと人生の消費試合のような日々が続き、そしていつか死ぬのだろうと思っていた。それがこの日、新しい手習い事と接し、生き甲斐を失っていた和子に新しい目標が与えられるとは想像もしなかった。

タンスの中からお茶会に着ていく着物を出していると、同じ引き出しの中にある結婚式の時に来た着物が眼に付いた。一瞬、昔の記憶が蘇った。純一との最初の出逢いは1957年2月、奈良が梅の香りで包まれる頃だった。寺中和子はまだ16歳だった。和子の父が住職を務めるお寺で、何百年続いた寺の改装を行う事になり、その工事に参加したのが宮大工の西村純一だった。鹿児島の中学を卒業するとすぐに宮大工としての修行を始めた純一はその時、23歳だった。寺の改装工事は一年半続いた。その間、和子と純一はたまに言葉を交わすことはあったが、特にそれ以上のことはなかった。しかし、和子の父親は純一のことを激賞していた。「彼は腕も先輩達に負けないが、仕事ぶりが素晴らしい。見えない部分にもしっかり目配りし、良い仕事をしている。おとなしいが、真面目で、実に実直だ。彼はきっと伸びるだろう」と目を掛けていた。和子は「ふーん」と聞き流していたが、まさか自分が10年程後に結婚する事になるとは思いもしなかった。

和子はどちらかと言うと活発で明るい性格だった。お寺の雰囲気が好きでなかった。また生まれ育った奈良の街も少し古臭い気がして、成長したら絶対外に出ようと思っていた。それには子供の頃の体験も左右していたかも知れない。小学、中学と、「やーい、やーい、お寺の娘!」と囃された。苗字まで「寺中」である。ガキ大将共のからかいの対象になった。そんな背景もあり、宮大工である純一に対しても、和子の心は動かなかった。それに二人の間には7歳の年の差もあった。

しかし、純一の方は違ったようだった。和子の生き生きとした表情や態度に惹かれていたようである。一年半の改修工事が終わり掛けた頃のある日曜日、純一が「和子ちゃん、一緒に映画観に行きませんか」と誘った。ちょっと驚いた和子だったが、もうすぐお別れだし、また映画も観たかったものだったので、誘いに乗った。映画の後、近くの喫茶店でコーヒー飲みながら、ちょっと喋ったが、少し緊張気味の純一の様子がおかしかった。思ったよりも楽しい半日だった。そして二人は別れた。

その後、純一は日本全国各地の建築現場を回り、和子は念願の奈良脱出がかない、大学4年間は京都で過ごした。二人が再会したのは1966年の2月だった。奈良市役所の観光課で務めていた和子を純一が突然5年ぶりに尋ねて来た。「和子ちゃんのことが忘れられない。出来たら結婚して欲しい」と言うのである。学生時代に一見カッコよい都会風の先輩や同級生と付き合ったこともあった和子だが、彼らの調子よさや軽薄さが嫌になり、別れた。その二人に比べると、風采も上がらず、小柄でスマートさは全く感じられない純一だが、彼の誠実さ、優しさ、そして強い愛情が和子の胸に響いた。奈良の二月堂の火祭りの夜、和子は純一のプロポーズを受け入れた。半世紀余りも前のことである。鉄郎と美和が生まれ、そして米国生活が始まったのは1976年だった。その年にリトルトーキョーに東本願寺が建築され、純一も大工の一人として参加したが、それが家族全員で米国生活を始めるきっかけとなった。

昔のことなどを思い出していると、電話がなった。ケイからである。「バーチャン、あいにくの雨で、道路が混むと良くないから、30分早く、11時でなく、10時半にお迎えに参ります」と言った。ガーデナの和子の家からリトルトーキョーの禅宗寺までケイが運転手役を務める約束だった。トヨタの米国本社に勤める鉄郎は日本出張中であった。

ところがである。結局、この日、ケイは迎えには現れなかった。代わりに来たのは孫のアキである。16歳になっていた。彼女はウーバーを利用し、禅宗寺まで連れて行って呉れた。ケイが家を出る直前に台所の水道管が破れると言う予期しない突発事故が起きたためだった。ウーバーの車でガーデナからリトルトーキョーに向かう間、アキは和子バーチャンにウーバーの仕組みを説明し、スマホの世界の便利さや素晴らしさを熱心に語った。生き生きと語る孫の表情を見て、和子の心の中に久しぶりに何か動くものがあった。和子に「新しい手習いとしてスマホを習おうかな」という気持ちが芽生えた。アキはすぐさま行動した。まだ日本出張中の鉄郎にメッセージを送り、帰米後に和子バーチャンへの喜寿の祝いとして、新しいスマホを贈らせた。アキの指導付きである。スマホにはピンクのカバーにハローキティのマークが付いている。

アキのコーチに加え、リトルトーキョータワーズやパイオニアセンターなどで開催されている無料の「スマホ相談室」に参加する時もある。ケイが連れて行って呉れるが、ケイの都合が悪い日はウーバーを使っている。「まるでお抱え運転手を持ったようなものだわ。3月のLAPDへの往復はケイを煩わせることなく、自分一人でウーバーで行こう」と、和子は極めてご機嫌である。表情も明るくなった。スカイプを使って、奈良の家族やシリコンバレーの娘などとも気軽に顔を見ながら近況報告やお喋りができる。愛する純一を失ってから、前向きな気持ちを失っていた和子だったが、喜寿の手習いを始めてから、世界が広がり、何か残りの人生に明るさが見えた感じだった。夫の最後の言葉、「感謝しようね」の意味が分かった気がした。「やっぱり、何歳になっても、新しい目標や夢は持つべきだわ。ひょっとしたら、これは純一さんから私への喜寿の贈物なのかしら。純一さん、ありがとう。地球の裏とも気軽に話せるスカイプだから、更に技術が進み、その内に天国の純一さんともお喋りできるようになると良いのにね」と和子バーチャンは呟きながら、今日も喜寿の手習いに励んでいる。

 

* このストーリーは、リトル東京歴史協会による第5回短編小説コンテストの日本語部門での最優秀賞作品です。

 

© 2018 Akira Tsurukame

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Sobre esta serie

The Little Tokyo Historical Society’s fifth-short story contest concluded with an Awards Reception held on the evening of Thursday, April 19, 2018 at the Union Church of Los Angeles in Little Tokyo. The winning stories were read by three professional actors. The purpose of the contest is to raise awareness of Little Tokyo through a creative story that takes place in Little Tokyo. The story has to be fictional and set in a current, past, or future Little Tokyo in the City of Los Angeles, California. 

Winners:


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