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特別座談会: 四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=

第1回 元デカセギ子弟、島野パトリシアさん ー 10歳で母と共に日本へ

四世ビザが成功して五世、六世まで訪日就労しながら日本文化を学べるようになるならば、この査証制度は日系社会の将来を左右する大事な制度ではないか――そんな問題認識に基づいて、元デカセギ子弟で帰伯後にブラジルで弁護士になった島野パトリシアさん、デカセギ対応の最前線にいる国外就労者情報援護センター(CIATE)の専務理事・永井康之さんを迎えて、ニッケイ新聞の深沢正雪編集長と座談会を行った。

デカセギ子弟から弁護士が生まれる時代となり、今後の日本就労の枠組みをもっと真剣に考えることで、次世代を担う人材が生まれる可能性が出てきた。下地幹郎衆院議員が2度目の四世ビザ制度説明会を開催し、今後の筋道がより明らかになった今だからこそ問う、訪日就労のビザ制度はどうあるべきか――。(※この座談会は2018年6月に実施され、その後の事情の変化を反映するために加筆訂正したもの。)

島野パトリシア
1985年パラナ州マリンガ市生まれ。10歳の時に訪日し、日本で公立高校を卒業。2009年にブラジル帰国後、法学部に通い、2014年在学中に司法試験に合格。ブラジルの弁護士。2018年1月にJICA日系研修員事業、中小企業連携促進のための企業法務コースの研修生として再訪日。現在、大手法律事務所に所属し、日本企業をサポートし続けている。

永井康之
愛知県出身。42歳。日本の弁護士。2009年愛知県弁護士会に登録。2015年サンパウロの国外就労者情報援護センター(CIATE)に専務理事として赴任し、サンジョアキン街の文協1階CIATE事務所で訪日就労者からの様々な相談に無料で応じている。

*****

日本育ちでブラジルの弁護士

【深沢】7月から開始されたばかりの四世ビザにからめて、110周年だからこその日伯間の将来を見通したビザ制度をどうすべきか――という点を話してもらうため、訪日就労問題に詳しい弁護士二人に来てもらいました。

参考にしたい素晴らしい事例として、日本で育って帰伯してから弁護士になった島野パトリシアさんの体験談をまず聞きたいと思います。パトリシアさんは何歳で日本に行ったんですか?

【島野】母が日本に働きに行くというので10歳で連れて行かれました。

【深沢】そのときの日本語のレベルは?

【島野】全くゼロ。

【深沢】ゼロで日本に行って公立の小学校へ転入ですか?

【島野】5年生でした。

【深沢】えっ、小学5年生から日本語を覚えるのは大変だったでしょう。高学年からって辛いですよね。できれば低学年、遅くても中学年って言いますよね。

【島野】はいそうです。

【深沢】それを高学年から…。授業についていくが大変だったでしょう?

【島野】ええ、大変でした。学校の文化、習慣も全然違いますよね。ブラジルだと生まれるともう耳にピアス開ける。でも日本では厳禁。そこからの問題だったんです。

【深沢】そうですよね。

【島野】知らないで、靴を履いたまま学校に入ったことも…。

【深沢】最初に誰もそういう指導してくれなかったわけですか?

【島野】私は学校初のブラジル人だったんです。

【深沢】何県ですか?

【島野】愛知県岡崎市。

【深沢】愛知県、ブラジル人が一杯いそうな感じですけど。

【永井】それって何年くらいですか。

【島野】1995年。

【深沢】ブラジル人がもう大分行ってますよね。

【島野】当時はたぶん子供が少なかったんですよね。

【深沢】なるほど。

【永井】まだ、5年しか経ってないですから、ブームが始まってから。

【島野】家族の呼び寄せが始まったころかな。

【深沢】じゃあ学校で初めてのブラジル人みたいに受け入れられて、学校の方もどう受け入れていいかわからない。

【島野】わからない状況で、私が入ったんです。

【深沢】そりゃ両方が大変だ。やっぱり学校でいじめられたんですか。

【島野】「いじめる」って言葉は好きじゃないんですよね。私も受け入れてもらえるために、どうしたらいいのかもわからず、向こうも初めての外国人と接してるわけだから、どうしてもショックがあるんですよね。私としてはいじめられたという事よりも、上手く受け入れられなかったことの方が…。

【深沢】受け入れの準備が全くなし、エイヤーで向こうもやって、それが双方にとってあんまりいい感じでなかったと。

【島野】そうですね。

【深沢】登校拒否にはならなかったんですか。

【島野】ならなかった。お母さんが「とにかく行け」って言うので。

【深沢】でも、授業聞いてても全然わからなかったんでしょ。

【島野】全然。だから書かれている文字ではなく、黒板だけをみて一日過ごしてましたね。

【深沢】辛いですね。今なら横に補助教員みたい人がいるだろうけど。

【島野】ほんとに泣きながらでした。毎日行きたくなかったです。

【深沢】何年くらいで授業についていけるようになったんですか?

【島野】小学校5年生の終わりごろに日本に行って、中学校の2年生くらいかな。高校進学を決めるちょっと前でした。

【深沢】中学2年で授業についていけるようになったということは、その間にものすごい勉強したんですか。

【島野】いやーそういう記憶はない(笑)

【深沢】かなりド根性で勉強しないと2、3年間で授業がわかるようにならないでしょ。しかも中学になったら急に内容が難しくなる。

【島野】はい。正確に言えば「勉強についていける」ほどではなく、「日常会話が通じるようになった」とか「意思疎通ができるようになった」というのが中学2年。

【永井】字も読めるようになっていたんですか。

【島野】ひらがなカタカナと小学校の低学年程度の漢字は読めるようになったんです。

第2回 >>

 

* 本稿は、「ニッケイ新聞」(2018年8月18日19日)からの転載です。

 

© 2018 Masayuki Fukasawa / Nikkey Shimbun

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Sobre esta serie

四世ビザが成功して五世、六世まで訪日就労しながら日本文化を学べるようになるならば、この査証制度は日系社会の将来を左右する大事な制度ではないか――そんな問題認識に基づいて、元デカセギ子弟で帰伯後にブラジルで弁護士になった島野パトリシアさん、デカセギ対応の最前線にいる国外就労者情報援護センター(CIATE)の専務理事・永井康之さんを迎えて、ニッケイ新聞の深沢正雪編集長と座談会を行った。

(※この座談会は2018年6月に実施され、その後の事情の変化を反映するために加筆訂正したもの。ニッケイ新聞からの転載。)