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日本を去った若者たち―21世紀における日本人の海外移住事情

日本政府主導による日本人の海外移住は1973年の春、最後の移民船、ブラジルを目指したにっぽん丸が横浜を出港して以来、その波が途絶えたとされますが、その後も、留学や国際結婚、就業などを理由に、海外に移住する人々が続いています。その数は、1年あたり十数万人とされます。

21世紀をむかえた日本社会における日本人の海外移住事情とは、どのようなものなのでしょうか。わたしのように留学(わたしは2002年にアメリカのコミュニティ・カレッジに入学しました)を理由に海外に移住した人々がいた一方、まったく異なる理由で海外に移住した日本人の若者たちがいました。彼らが海外に移住した背景には、さまざまな問題をかかえた日本の社会事情がありました。彼らは、どのような理由があって日本という国を去り、海外のどこに移住し、どのような生活を送っているのでしょうか。

2012年の8月、フジテレビが大変興味深いドキュメンタリー番組を放送しました。『サヨナラニッポン~若者たちが消えてゆく国~』と題された番組は、放送時間が深夜帯であったにもかかわらず、大きな反響をよびました。

大連を拠点とするある企業の求人広告。中国ではコールセンター、システムエンジニアなど、さまざまな職業において人材が集められている。(日本人を対象とした就職活動のためのウェブサイト「カモメ中国転職」より)

この番組の主役は、20代から30代にかけての若者たちです。彼らが目指したのは、中国大陸(中華人民共和国)でした。彼らはこの地で、主に日本企業を対象とした、コールセンター、経理、ホームページのデザインと製作、さらには、プログラミングの業務などを、現地の中国人と一緒に行っていました。日本社会と比較して、賃金が割安な中国大陸という地域の事情と、日中間の経済的な格差を利用した「商売」を、彼らは活きる糧にしていました。

番組で最も焦点があてられたのは、30代の男性でした。彼はいわゆる好学の士で、日本では教育歴に恵まれ、著名な大学の大学院で研究活動に励んでいました。しかし、博士号を取得し、就職活動を行ったものの、20代の新卒生ばかりが「崇拝」される日本社会で、彼の能力が認められ、それを十分に活かすことのできる就職先は、ひとつもありませんでした。

日本社会では、単純労働者の活用を長所とした一方、長年にわたり、高度人材の活用を不得手としています。数多くの日本企業が、彼のような高度人材を正当に評価しなかったことは、深刻な社会的損失につながりました。現在、日本社会の一部においては、高度人材の活用のあり方を改めようとしているものの、その行く末に未知数の部分が多いのが実情です。

国内の就職活動で大きな挫折を味わった彼は、大学院修了後、就職活動を積極的に行うことはなく、短期間のアルバイトを繰り返して、毎日の食事にありついていました。しかしながら、数年が経ったとき、このような生活が続くわけにはいかないと悟り、海外の求人情報を探した結果、中国大陸は大連での就職を決意しました。日本を去ることで新たな将来がもたらされると、彼は考えたのです。

日本と比較すると、中国大陸における賃金は割安の傾向にあります。しかしながら、大連は経済成長の目覚しい、中国大陸を代表する都市のひとつです。経済的に凋落している日本社会とは事情が異なります。この、新たな経済成長の「恩恵」を受けるべく、彼は大連で人生の再起をかけました。

中国大陸で最も発展しているといわれる大連

大連で、彼は日本企業を対象としたコールセンター委託業務の責任者となりました。そして、彼には数十人の、中国人の部下がいました。彼の部下には、大学で日本語を学んだ経験のある人々がいるほか、日本への留学経験をもつ人々もいました。日本語が達者な、数十人の中国人を束ねることに、彼は活きる(生きる)目的を、見出そうとしていました。

また、大連での彼の生活事情は、日本で経験したそれとは、大きく異なるものでした。会社が彼に与えた住宅は、中国大陸では、比較的豪華なマンションでした。この、およそ60平米のマンションの賃料は,およそ3万円。日本では考えられない金額です。彼は、番組のなかで、このような条件の良いところに住むことは、みずからの人生において二度とないだろうと語りました。

さらには、大連での生活がはじまって数年後、彼の人生に大きな転機がやってきました。中国人のガールフレンドとの交際がはじまったのです。もしも、彼が大連に行くことなく、日本においてアルバイトの生活を続けていた場合、ガールフレンドに恵まれることは難しいことだったかもしれません。しかしながら、新天地において、責任者という仕事を任された彼には、徐々にではあったものの、人間関係においても恵まれるようになりました。

多くの日本人からは、羨望のまなざしが注がれるだろう、彼の大連での生活ぶりの一方で、彼の心の奥底には、将来にたいする不安が高まっていました。テレビ局が取材した時点では、仕事場においては責任者という立場ではあるものの、近い将来、その立場を維持できるかどうかをめぐって、彼はひどく悩むようになりました。それは、ガールフレンドの一言が、大きなきっかけとなりました。

ガールフレンドは彼に、仕事場には日本語と北京語、ふたつの言語を流暢に話す中国人がたくさんいるので、日本人の代わりに中国人が責任者になったとしても、業務に支障はないと言ったのです。その彼女は、つい先日、職場での昇進が決まったばかりでした。彼女が近い将来、彼よりも多くの報酬を獲得することは、火を見るより明らかでした。

日本語しかまともに話すことのできない自分は、いつかはバイリンガルの部下に追い越され、会社にとって不要な人材になってしまうかもしれない。そうなったら、日本に戻ることになるかもしれない。しかしながら、もしも自分が日本に戻ったとしても、納得のいく就職先は、あるのだろうか。彼は、新天地における、みずからの地位を守るため、さらにはガールフレンドとの人間関係を守るため、大いに悩んでいました。彼女はそんな彼を見るたび、励ましの言葉をかけるようにしていました。

番組が取材した別の若者たちも、彼と同様、大なり小なり、将来にたいする不安をかかえていました。彼らのなかには、将来のために、北京語の勉強に励む人々がいました。それは、新天地における、みずからの地位を守るためでもありました。

富の分配が十分に機能しない日本社会。閉塞感が支配する日本社会。さらには、先細りし続ける日本経済の将来をひどく悲観したことが、番組が密着取材をした若者たちが、大連への移住を決意した、主たる理由でした。日本の経済事情と比較して、より豊かな生活を手に入れられるだろうという期待をもって、彼らは大連を、人生の新天地としました。

しかしながら、新天地での生活事情は、表向きには、比較的豪華なマンションでの生活といった、満足のいく生活環境を手にすることはできたものの、将来性という観点においては、さまざまな不安要素があることから、彼らには中国社会への適応という、新たな試練が課されています。彼らがみずからの努力で北京語を習得することが、今後の人生を大きく左右することは、言うまでもありません。

また、彼らの存在から読み取れることは、彼らはみずからの意思で日本を去ったものの、その背景には、日本社会では、人材の活用という点において深刻な課題をかかえていること、さらには、日本経済の先行きが不透明であることなど、ただ単に、彼らがみずからの意思で、海外移住を選択したとは言い切れない、非常に複雑な事情があります。日本という国家の凋落が、日本人の海外移住を促したことは、多くの日本人にとっては不都合な事実であると同時に、非常に悲しい事実でもあると思います。

 

参考:

第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『サヨナラニッポン ~若者たちが消えてゆく国~』 (制作:フジテレビ)(2012年8月16日、フジテレビ)

動画『サヨナラニッポン~若者たちが消えてゆく国~』(“Daily Motion”より)

 

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