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「ノーノー・ボーイ」の世界を探る

第3回 復刻版にこめられた熱い思い  

3月12日、シアトルのワシントン州日本文化会館で、「ノーノー・ボーイ」に関するシンポジウムが開かれる。第二次大戦中にアメリカの日系人が収容所に入れられた際に問われたアメリカ国家への忠誠に対する質問の意味をはじめ、日系人社会の反応など、小説の背景にある問題を研究者らが語り合うという。

シンポジウムは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系米国人研究部のプログラムの一環として行われるというが、いまもって「ノーノー・ボーイ」に象徴される世界は、文学だけにとどまらず、考察されつづけるテーマになっていることがわかる。それだけにこの小説も読み継がれているのだろう。


オカダの影を追って

話題になることもなく埋もれてしまった初版から19年経った1976年にアジア系アメリカ人の若者の手によって復刊されたジョン・オカダの「ノーノー・ボーイ」は、その後ワシントン大学出版が版元を引き受け出版を継続した。

1957年の初版は、小説そのものだけで成り立っていたが、復刊にあたっては序文とあとがきが加えられた。小説に序文というのは異色な感がある。しかし、そこには情熱をもって復刊に関わった日系アメリカ人と中国系アメリカ人の若者の熱い思いが表れている。また、復刊に至るまでのエピソードが描かれている。

序文は、日系3世の詩人ローソン・イナダが書いた。そのなかでイナダは、彼やその仲間がいかにジョン・オカダの作品に出会って衝撃を受け、それを広めようとしたことや、当時まったく情報のなかったオカダの家族を探しだそうとつとめ、やがてオカダの未亡人であるドロシーを訪ねようとサンフランシスコからロサンゼルスに向けて仲間と旅をしたこと、そしてドロシーに会いオカダとノーノー・ボーイについて尋ねた話を記している。

ドロシーからイナダたちは「本のことでジョンを訪ねて来たのはお二人が最初です」と、言われる。そして、ジョンは一世について本を書いていたが、ジョンが亡きあとその本について交渉しようとしたがどこも返事をくれなかったので、転居の際に焼いて処分してしまったと教えられた。

イナダは、オカダがアジア系アメリカ人の作家として、新たな時代を切り開いた偉業をたたえ、自分たちが復刊して世に送り出すことは誇りであり喜びであるという。そこには、本が売れるか売れないかといった基準などまったくなく、とにかく価値ある本を多くの人に届けたいという純粋な気持ちの高まりが感じられる。

最後に、「ノーノー・ボーイ」には、すぐれた不朽の芸術を超えたなにかがあると絶賛している。


残された原稿は焼き捨てられた?

あとがきを書いたのは中国系アメリカ人の劇作家フランク・チンで、彼の作品「ザ・チキンクープ・チャイナマン」は、ニューヨークの公認の劇場でも上演された。それはアジア系アメリカ人の作家としては初めてのことだった。 

「ジョン・オカダを探しに」と題したあとがきで彼は、同じアジア系アメリカ人の作家という視点から、アメリカのなかの白人以外の文化が語られ文学が登場することへの渇望を語り、「ノーノー・ボーイ」をこれぞ待ちに待ったアジア系アメリカ人の誕生であるとばかりに、その意義について熱い思いを吐露している。

フランク・チンの言葉は、自分たちは何者なのだと問い続けざるをえなかったアイデンティティの危機というものが何なのかに対する答えを、オカダの作品が示してくれているとも読み取れる。

生前のオカダに会えなかったことを悔やんだチンは、「ノーノー・ボーイ」の舞台となったシアトルを訪ね、さらにイナダとともにロサンゼルスでドロシーに会う。世間でほとんど知られることのなかった処女作のみを残して逝ってしまったオカダについての情報はほとんどなく、少しでもオカダに近づこうとしたのだ。

「ノーノー・ボーイ」の舞台となったシアトルの町(ジャクソン通りから6th アヴェニューを見上げる。2005年)

しかし、ドロシーから、オカダの原稿やノートなど書き残したものをUCLAのジャパニーズ・アメリカン研究プロジェクトに寄付しようとしたが断られたのでみんな焼き捨ててしまった、という話を聞いた彼は、「おれはドロシーを殴りつけたくなった」、「UCLAに火をつけたくなった」と、そのときの無念と怒りを率直に表している。

だが、残されたものがまったくなかったわけでなかった。オカダが自分自身について書いた控えめなプロフィールがあり、それが紹介されている。


「唯一の偉大な作家である」

残された原稿などが処分された経緯については別のストーリーもあるが、それは機会を改めて紹介するとして、チンはそのあと再びシアトルを訪れ、ようやくジョン・オカダの兄弟や父親に会いオカダの人となりや半生を知ることになる。

さらに、オカダがシアトルで暮らしていたころ勤めていた図書館の上司で、彼がシアトルを離れた後も親交のあったドリス・ミッチェルに会い、オカダについて記憶していることや細かな事実を教えてもらう。

こうしたことが書かれているあとがきによって、読者はオカダという人物の輪郭を知り、同時に、埋もれた作家と作品をよみがえらせたイナダやチンの情熱を知ることになる。あとがきの最後でチンは、シアトルがアジア系アメリカ人のジャーナリストや作家(ジェイムズ・サカモト、モニカ・ソネ、ビル・ホソカワ、ジム・ヨシダ)を生んだ特別な町であるとしたうえで、力を込めてこう言っている。

「ジョン・オカダこそ唯一の偉大な作家である」

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© 2016 Ryusuke Kawai

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Sobre esta serie

太平洋戦争を挟みアメリカで生きた日系アメリカ人二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系アメリカ人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。

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