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ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

第5回 失われつつあるのかもしれない日本的価値観 ― 変わりゆくハワイの文化 ―

ハワイの日系社会をテーマに連載を始めたこのエッセイだが、はたしてハワイに「日系社会」なるものがあるのかという疑問に突き当たることがある。チャイナタウンのような民族コミュニティが見える形で存在しているのはむしろ例外的である。アラモアナ・ショッピングセンターの山側に、コリアンタウンの始まりのようなものを感じることはある。だが、ハワイ系の多いワイマナロやカポレイ、フィリピン系が多いとされるカリヒやワイパフなどはあるものの、それらの地区にも様々な民族が共住している。カポレイでは最近大規模な宅地開発が進んでいるし、ワイパフにはかつて日系人が多く住んでいたが、製糖業の衰退とともに人口構成は変わってしまった。養豚業を営む沖縄系が多く住んでいたハワイ・カイは今や高級住宅地である。このように次第に地域は変容し、「その民族ならここ」と言うことが難しくなってきている。異民族間結婚もそれに拍車をかけている。

ハワイでは「メルティング・ポット」的な状況と「サラダ・ボウル」的な状況とが共存していると言われる。WASPのような絶対的な多数派が存在しないために、アメリカ本土とは状況が大きく異なっている。長い航海の末ハワイに到達した移民たちは、もともと存在しなかった「ローカル」文化を創り上げ、それを共有することで「ハワイ人」というまったく別の存在に「なる」と信じてきた。このことは「メルティング・ポット」的な状況と言ってよい。

その一方で、ハワイは多くの民族が自らのアイデンティティを保持しながら生活している場所でもある。今や六世の誕生する時代となり異民族間結婚も進んで、自らを「なに系」と同定できない者も増加し続けている。

だが、食生活など日常の文化的側面においては依然として先祖の影響が色濃く残っており、民族固有の生活様式も維持されている。このような一種独特の状況は、ハワイの食文化にも表れている。たとえばMixed Plateがそれである。

街かどのランチスタンドやレストランなどどこにでもあるこのメニューは、紙皿に二盛りほどの米飯と、その周りにカルーアピッグ(豚の蒸し焼きをほぐした塩味の肉、ハワイアンの伝統料理)、煮しめ、チキンカツ、キムチ、焼肉、ポルトガル風ソーセージなど2、3品のおかずがついてくるというものである。1枚の皿の上に複数の民族の料理が乗せられ、それで一つのメニューとなっている。この場合の皿はハワイという土地を、米飯やおかずは各民族を象徴している。全米日系人博物館のかつての巡回展示、『弁当からミックスプレートへ(From Bento to Mixed Plate) 』に詳しい。このことは「サラダ・ボウル」的な状況を示すものと言えるだろう。

プレート・ランチの一例

となると、ハワイでは「メルティング・ポット」と「サラダ・ボウル」とは互いにどうなっているんだ、ということになる。どんな時に、また、どんなところで「メルティング・ポット」と「サラダ・ボウル」が現れるのかということである。仕事で大変世話になったハワイ州教育局の社会科専門官が上手いことを言っていた。

ハワイは「シチュー」ではないか、とのことである。

MさんLさんのビーフシチュー

つまり、ジャガイモや人参、玉ねぎやブロッコリー、セロリといったシチューの具がハワイに住む民族であり、それぞれの角は取れて丸くなり、シチューのスープに溶け出している。スープはハワイの「ローカル」文化であって、自らの身体にまとわり付き、互いに共有している。

私はそれを聞いて「なるほど!」と思った。それから15年近くが経ち、言った本人は残念ながら天に召されてしまったが、私はそのことを実感し続けている。異民族の友人たちは日本文化や日系文化を共有してくれていて、話をしていても余計な説明をする必要がないことが多い。日本文化をよく知っているだけでなく、自らの生活様式に取り込んでいることもしばしばである。日本人の私も、彼らの文化を積極的に共有しようと努めていることに気づくことがよくある。といっても、付き合いの多いハワイアンの人たちの文化くらいのものであるが。

そのようなわけで、ハワイの「日系社会」というよりも、多文化が混在して、そのうちの一部が溶け合っているハワイにおける日系人たちの日常、そのようなものがあって、そこに私も仲間に入れてもらっているというのが正確なところなのではないかという感じがするのである。

前回「ガレージパーティ」を取り上げた。MさんLさん宅の小さなガレージで開かれる温かなパーティでは、「ハワイの変わらぬ日本文化、変わりゆく日系文化といった価値観に関わるものが共有され、次世代に受け継がれている」というように書いた。共有されたり受け継がれたりする文化の事例について考えてみよう。

ガレージパーティでのミニライブ

MさんLさん夫妻が大勢の人たちから尊敬されている理由の一つとして、とことん親切である、ということがある。誰にでも甘いということではなく、時には厳しくアドバイスもする、という思いやりの深さという点においてである。

その二人が以前に、「我々が受け継いできた日本文化の美徳は、『やってあげられることを精一杯やる』ということだ」とよく言っていた。加藤賢一・永江一石著『夢と住むハワイ島』(マガジンハウス、1998年)にもそれを思わせるシーンが出てくる。ハワイの日系人の大変な親切に感動した日本人旅行者が、思わず自分のしていた腕時計をお礼に渡そうとして、結果として日系人の気分を大きく害してしまったというものである。

中学生だった私をハワイの魅力に引きずり込んだ、加藤秀俊著『ホノルルの街かどから』(中公文庫、1979年)には「送迎儀礼」という項目が立てられて、島の人間の送迎好き、お客さん好きを論じている。「ハワイの人たちは、そういう送迎をすこしも苦にしない。それどころか、ひっそり旅行することをゆるしてくれない。いくら辞退しても、何人かの人がきてくださる。飛行機の時間をおしえないと、怒られる。」(174ページ)

私は夫妻の子どものような弟のような扱いをしてもらっているが、まったくこの通りなのである。年に数度の訪問の際、必ず空港まで迎えに来てくれる。朝食もしくは昼食をとって自宅まで戻ったら、その車を滞在中貸してくれる。帰国の朝は一緒に朝食をとり、空港まで送ってくれる。それで車の返却となる。毎回のことである。

ホノルルに住んでいた頃、ラスベガスで開催された学会に向かうためホノルル空港にいた。ブラブラしていると、私の大好物である「ショーユ(醤油)・チキン」を持ってMさんLさんが突然現れた。フライトを知らせてはいたが、驚く私に「腹減ってるだろうと思ってな」とMさんははにかみながらそれを手渡してくれた。空港ターミナルを吹き抜ける貿易風に涼みながら、チキンとご飯とサラダを平らげた。ラスベガスに着くまで何も食べないで大丈夫だったが、それは単に腹が満たされたからというだけに留まらない温かな感覚だった。

ネガティブな側面にも目を向けてみることにする。

Lさんとカフェテリアでハワイアン料理の下準備

MさんLさんは、隣同士の小学校のカフェテリアのマネージャー職にあった。

Lさんのカフェテリアからプルメリアとマンゴーの木をくぐり抜けたすぐ裏は、昼間は高齢のおばあさんが一人留守番をしている家だった。玄関の前庭に椅子を出して、行き交う近所の人たちとお喋りをしていることも多かった。学校給食は足りなくなってはいけないので必ず余分に作ることになっている。余った分は冷凍して保存したり、仲間うちで分けたりする。私の夕食に持たせてもらうことも頻繁にあった。私はLさんと一緒に、おばあさんにおすそ分けを届けることもよくあった。

学校の建物の修繕に来ている業者にふるまわれたりもした。その時のことである。教員の一部から、業者に食べさせる必要はないのではないかと批判が出たのである。白人の教員だったそうだ。当然だがLさんは憤慨していた。「学校を直しに来て『くれている』んだから、もてなすのは当然でしょ。どうせご飯は余るんだから」と。

清潔に整えられたカフェテリア

またこういうこともあった。Parents Day、つまり保護者の学校訪問日(参観日)に、Lさんは保護者たちに給食を無料で提供する作業をしていた。Mさんの給食と同様にLさんの給食もとても美味しい。だからだろうか、予想以上に保護者が食べに来てしまい、数名の保護者にメニューのチキンナゲットが足りなくなった。するとその連中が不平を言いながら騒ぎ始めてしまった。3個あるところが2個になってしまったので文句を言っているのである。

日本人の我々だったらどうするところだろうか。大方の日本人はそのままありがたく給食をいただくことだろう。「タダ飯」なのである。タダでもらえるものに何かが足りなかったところで文句を言ったりはしない。そんなことをしたら、「お天道様に見られて罰が当たる」と考えるのが日本文化であり日系文化である。私などは小さい頃、食べ物に不平を漏らしたりしたら「口が曲がる」と言われたものだ。Lさんの小学校の学区域では白人の人口が増えていた。不平を言い散らしたのも白人たちなのであった。

A先生(本シリーズ第3回「Tシャツ」参照)によれば、“entitled”な考え方をする住民が近年増えていて、学校としても困っているのだそうだ。好意に対して、“entitled”つまり「当然やってもらえる、やってもらう権利がある」と、思慮に欠けた行為に出る者たちのことである。(日本語では野球の「エンタイトル(ド)ツーベース」などに使われる表現。これにはネガティブな意味はない。)

もちろん白人がみな同じというわけでは決してない。ここでステレオタイプを語るつもりもない。だが、住民の世代交代や人口構成の変化で地域文化は常に変化する。快適な人間関係が変わってしまうこともある。この場合は、白人という特定の「具」の味が強くなりすぎて、「シチュー」の味がバランスを欠いてしまったということなのかもしれない。味のバランスが崩れると、元に戻すのは本当に大変なことなのに。

Lさんの勤めていた小学校

 

© 2015 Seiji Kawasaki

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Sobre esta serie

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。