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「二世ウィーク・クィーン」は南カリフォルニアの日系団体をまとめるきずな

1930年代、約3万人の日本人が住んでいたロサンゼルス・リトル・トーキョー(小東京)で、日本人商店主たちが始めた「二世ウィーク」(二世週祭)イベントは、戦争時の中断を乗り越えて、今年で80周年を迎える。

二世ウィークは、リトル・トーキョーを舞台として、8月の半ばの1週間が開催期間だ。祭りは、最初の日曜日に行われるグランド・パレードで始まり、1週間後の日曜日にオンド(音頭)と呼ばれている昼間の盆踊りで閉幕となる。

グランド・パレードの出し物として、青森からねぶたが来た2007年はパレードが大きな盛り上がりを見せた。その後、パレードの勢いはあまり盛り上がらず、パレードコースも短縮された。しかし、そうしたイベントの集客数に関係なく、80年間一貫してこのイベントが「二世週祭」として多くのロサンゼルス日系人の絶大な支持を受けているのは、「二世ウィーク・クィーン」(二世週女王)と呼ばれる親善大使役を発掘し、養成していくネットワークが南カリフォルニアの日系人コミュニティーに根を張っているからだ。

戦前から戦後の50年代まで、二世週女王の選出は、いわゆる美人コンテストで、候補者たちは日本国総領事公邸で1次審査を受けた後、5人に絞りこまれた。60年年代になってから、南カリフォルニアに約10カ所ある日系コミュニティー・センター (英語でJapanese Community Centerあるいは Japanese Cultural Institute と呼ばれている)が推薦団体となって候補者を出すようになった。

また、日系市民協会(Japanese American Citizen League)の支部や、親睦団体オプティミスト・クラブの支部などが、単独あるいはコミュニティーセンターと合同で参加している。最近は、新一世が中心の日本食レストラン協会(Japanese Restaurant Association)が推薦団体に加わっている。

ただし、すべて推薦団体が、毎年、候補者を出すわけではないので、多いときで8人、少ないときで5人と、候補者数は毎年変わる。

二世週女王の選出は、8月の二世週祭パレードの前夜、コロネーション・ボール(戴冠式)と呼ばれているイベントで行われる。候補者は3カ月前から毎週、集められ、人前で話をするときのマナーや、日本文化の基礎知識を教えられる。ロサンゼルスの日系人には、映画俳優、エンターテイメントの有名人もいるので、コロネーションのステージ上で、候補者たち全員が短いダンスを披露する年もある。

二世週女王に選ばれるのは一人だけだが、そのほかの候補者たちは、コート(英語で宮廷の意味)と呼ばれ、ミス・トモダチ、ファースト・プリンセス、そしてプリンセスのタイトルがそれぞれに与えられる。

二世週祭女王とコートたちの初仕事は、コロネーションの翌日、グランドパレードのフロートに乗って小東京であいさつをすることだ。そして、翌年の新女王とコートが決まるまでの1年間、二世週女王とコートは全員、ロサンゼルス日系社会の親善大使役として、サンフランシスコ、シアトル、ホノルル、そして名古屋に行き、訪問先のイベントに参加する。このうち米国の3都市は、日系アメリカ人のイベントで、名古屋は、ロサンゼルスと名古屋が姉妹都市の関係にあるためだ。

また、ロサンゼルスでも、日系関係者の開業記念式典や、日系団体主催ローカル・イベントへも参加し、二世週女王とコートたちは、コミュニティー内での親善大使役を頻繁にこなしている。

1954年の二世週女王に選ばれたジュン・アオチ・バーク (June Aochi Berk)さんは、2012年に日系女性の遺産協会(Nikkei Women Legacy Association)を立ちあげ、二世週女王たちと連絡を取り始めた。わたしが編集・発行する英字月刊新聞「カルチュラル・ニュース」は、この遺産協会の協力を得て、2012年8月号からほぼ毎月、1950年代から今にかけて選ばれた13人の二世週女王の体験記を紹介した。

『カルチュラル・ニュース』2014年5月号より (クリックして拡大)

体験記では、選ばれた年代に関係なく、だれもが二世週女王になったことで人生が変わったと、述べている。また、歳をとるごとに、二世週女王になれたことの意義が深まっていく、と言うひとが多い。

二世週女王の体験談を紹介していくと、ロサンゼルス日系史を垣間見ることができる。

1954年クィーン、アオチさんの場合は、二世週女王になったことでファッション・モデルの仕事が舞い込んだ。京都の会社が日本産シルクをつかったイブニング・ドレスの販売をロサンゼルスで始め、そのモデルに選ばれたのだ。このドレスのデザイナーは有名アメリカ人で、ショーもビバリーヒルズをはじめ、これまで、日系人たちが行くことがなかった高級な場所で行われた。また、この仕事で日本へも行った。

70年代は、日本経済の高度成長の時代で、小東京にもその影響は及んでいた。1976年クィーン、サンディー・トシユキ (Sandy Toshiyuki) さんは、二世週パレードで、松下幸之助やハワイ州知事のジョージ・アリヨシ夫妻と会っている。また、小東京再開発のさきがけとなったニューオータニ・ホテルの開業式に参加できたのも、76年のクィーンだったからだ。

70年代から80年代にかけての二世週女王は、なんと、ブラジルで開かれたミス・日系・インターナショナルに参加していた。1985年クィーン、テッシュ・オカベ・カトー (Tish Okabe Kato) さんにとって、サンパウロでのこの国際イベントへの参加が、もっとも印象に残る経験だった。

1993年クィーン、ナオミ・オノ・ソグネフェスト (Naomi Ono Sognefest) さんは、その年、アメリカを訪問された天皇・皇后にロサンゼルスで会った。日本の親戚に、ロサンゼルスで天皇・皇后と話をしたと語ったところ、信じてもらえなかった、と回想している。

90年代までの二世週女王の体験談からは、二世週女王になることによって、彼女たちの視野が、ロサンゼルス日系社会の外に広がったと要約できる。

2000年、2010年代になると、母親が日本人新一世で父親が非日系というハパ(Hapa、ハワイ語で混血の意味=現在、ロサンゼルスの日系人の間では、イベントなど公な場所でも頻繁に使われている)のクィーンが増えてくる。

ハパ・クィーンは、日本人の母親から日本語や日本文化を受け継ぎ、日本での滞在や生活経験を持っているのが特徴だ。そして、二世週女王になるまでは、日系団体に参加したことがなく、戦時中の強制収容所の体験談すら聞いたことがないという人も多い。

2011年クィーン、エリカ・マリコ・オルセン (Erika Mariko Olsen) さんの場合、二世週女王の1年間を通して、これまで知らなかった日系アメリカ人の歴史を学ぶことができ、二世週女王とコートたちは、次世代の日系社会のリーダーとしての自覚を持つようになったと述べている。

80年間の二世週女王の歴史を見ていくと、ロサンゼルス日系社会は、日本人エスニック・グループから、自らは日系人という自覚がなかったハパ世代が日系人になることを選択し、より多様な文化を包みこんだ社会グループへと発展していることがわかる。

 

© 2014 Shigeharu Higashi

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