おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

東京にある、子ども文庫の会の青木祥子さんから、今から10年か20年前に日本の新聞に掲載された日系の方の手紙のことをお聞きしました。その方は、第二次世界大戦中アメリカの日系人強制収容所で過ごされたのですが、「収容所に本をもってきてくださった図書館員の方のことが忘れられない」とあったそうです。この手紙に背中を押されるように調べ始めた、収容所での子どもの生活と収容所のなかでの本とのかかわりをお届けします。

* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第133号~137号(2013年4月~2014年4月)からの転載です。

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第一章 立ち退きまで (3)

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3. 真珠湾攻撃とその波紋 <1941年12月7日 – 1942年春>

1941年(昭和16年)12月7日、日曜日。「日本軍が、パールハーバーを攻撃しました。…… アメリカ艦隊の損害は甚大です。海岸一帯に火災が広がっています……」とひっきりなしに繰り返すラジオの臨時ニュースで西海岸に住む多くの日系人は真珠湾攻撃を知りました。1

次はライブラリー・ジャーナル誌(1942年6月号)にロサンゼルス図書館児童室司書、ゼーダ・テイラーの書いた記事の中に表れるブリードの手紙の一部です。

14年間、ひとつのコミュニティの児童図書室で仕…

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第一章 立ち退きまで (2)

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2. まえぶれ  <1939年 – 真珠湾攻撃まで>

ヘンリー・ミヤタケはシアトルの日本町に住む、元気な中学生の男の子。両親、姉と兄の五人家族。お父さんは渡米当時、カリフォルニアのハンチングトン・ビーチで日本からの出稼ぎ移民と一緒にレタスの栽培をしていました。でもレタスに時々黒いだらだらしたものがつくことが多く、これじゃ二人は食べられないと、ヘンリーのお父さんは農場の借地権をパートナーに譲り、ワシントン州にやってきました。鉄道工事に携わった後、シアトルの日本町で食料雑貨店の経営をしています。両親のそれとなくの心配りと、日本町の中で生活していることで、あまり差別は感じ…

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第一章 立ち退きまで (1)

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1941年の真珠湾攻撃の後、アメリカの西海岸に住む11万人以上の日系人が強制収容所に送られることになります。彼らの3分の2はアメリカ生まれで、市民であったにもかかわらず、日本人の血をひいているというだけで。個人の自由や平等がうたわれているアメリカ合衆国憲法があるにもかかわらず、どうしてこんな不正義なことが起こったのでしょうか。


1. 時代背景

日本からアメリカへの移民は、1885年ハワイへの移民から始まり、1890年代から1924年が全盛期でした。明治維新後の税制改正で、江戸時代の村単位でおさめる年貢から、個人でしかも現金でおさめることになり、現金のない農家は土地を担保に高利貸しから借りて、…

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プロローグ

長年送っていただいている、「子どもと本」の購読料が残り少なくなったので、送らせていただいた時のことです。ちょうど地元の公立図書館にリクエストをしておいた「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル著、池田香代子訳)が、オレゴン大学の図書館から届いたばかりでした。どなたか司書の方が、わたくしのために、アメリカ各地の図書館にあたって見つけて下さったことに感激しましたと書き添えました。

すると、子ども文庫の会の青木祥子さんから「お手紙の中の図書館員のお話、すてきですね。思い出したのは、いつのことだったか、新聞の小さなコラムの、あるおばあさんからの投稿でした。第二次世界大戦中、日本人強制収容所にいたという彼女は、収容所にいる間…

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