Dekasegi Story
In 1988, I read a news article about dekasegi and had an idea: "This might be a good subject for a novel." But I never imagined that I would end up becoming the author of this novel...
In 1990, I finished my first novel, and in the final scene, the protagonist Kimiko goes to Japan to work as a dekasegi worker. 11 years later, when I was asked to write a short story, I again chose the theme of dekasegi. Then, in 2008, I had my own dekasegi experience, and it left me with a lot of questions. "What is dekasegi?" "Where do dekasegi workers belong?"
I realized that the world of dekasegi is very complicated.
Through this series, I hope to think about these questions together.
Stories from this series
第六話(前編) 「Mayumi」は今、何処?
Nov. 21, 2012 • Laura Honda-Hasegawa
早朝、大きなバスケットを両手でかかえた若い女性が街を歩いていた。 公園のベンチに座り、ひと休みする。空を見上げると、濃い灰色の雲がどんどん横に流れ、自分も一緒にどこかへ連れて行かれるような気がした。下を見ると、枯葉が敷き詰められたカーペットのようで、今の自分の道しるべに見えた。「きっと、正しい方向に導かれているのだ」と、立ち上がり、バスケットを大事そうにかかえ、公園を出て行った。 すると、さらに、空は曇って今にも雨が降りそうになってきた。強い冷たい風も吹いてきたので、女性は…
第五話(後編) クレイト 血と汗&サンバの物語
Oct. 30, 2012 • Laura Honda-Hasegawa
前編を読む>> ふたたび転々と職を変えた。そのため、ブラジルの家族の存在はどんどん薄らいでいった。2歳になった娘の写真も見たことがなかった。そして、気がつくと、サンバのインストラクターになっていた。今まで一度も考えたことがなかった。まったくの偶然だった。 それは、ある日、彼が電車を待っていた時のことだった。反対のホームに紺のユニフォームを着た女子高生を見かけた。長い黒髪のお下げで淑やかな感じがかわいかった。早速話しかけようと、ジェスチャーを使い、いろいろ試みたが、彼女は…
第五話(前編) クレイト 血と汗&サンバの物語
Oct. 23, 2012 • Laura Honda-Hasegawa
子どもの頃、クレイトはごく普通に暮らしていた。原っぱでサッカーをしたり、先生に叱られたり、近くの山に登って怪我をしたり、木登りをし手足の骨を折ったり、ゼーさんの庭のマンゴを盗み、逃げる途中、足をくじいたりしたものだ。 しかし、8歳のとき全てが変わった。母親が故郷のペルナンブーコに帰ったのだ。下の二人の娘を連れ、「わんぱく坊主」のクレイトを残して行った。以前から底なしに酒を飲む父親はさらに大酒飲みになり、とうとう病気で入院してしまった。退院後は、行方が分からなくなり、見かけた…
第四話 サウダーデ
Sept. 26, 2012 • Laura Honda-Hasegawa
ある日、キミコは息子の引越しを手伝っていたとき、思いがけない物を見つけた。引き出しの底にビスケットの缶があった。子どもの頃、たまにしか食べられなかった「Biscoitos Duchen」だった。とても懐かしく思ったが、息子の家に置き忘れた覚えはなかった。それなのに、どうしてアレックスが大事そうにしまっていたのであろうか。何が入っているのだろう、と気になった。 すると、孫のマルコが「バチャン、早く行こうよ」と呼びに来た。引越しだったので、みんなで外食。そのとき、キミコはビスケ…
第二話 キミコ、24年後
July 26, 2012 • Laura Honda-Hasegawa
そうですね、あれは1988年4月のことでした。私は27人の女性だけの団体の一人として、日本にデカセギに行くことになっていました。初めての女性だけの団体だったのでとても話題になりました。新聞記者やテレビ局が空港に来ていて、記者たちは私たちに「どうして日本へ」とインタービューしましたが、私は緊張していて何も言えませんでした。でも、ほかの人は必死に理由を述べていたので、エライなぁ、と思いました。「だってブラジルに居たら食べるのも大変だもの」「子どもの学費でも稼げたらいいなと思って…