Keiko Fukuda

Keiko Fukuda was born in Oita, Japan. After graduating from International Christian University, she worked for a publishing company. Fukuda moved to the United States in 1992 where she became the chief editor of a Japanese community magazine. In 2003, Fukuda started working as a freelance writer. She currently writes articles for both Japanese and U.S. magazines with a focus on interviews. Fukuda is the co-author of Nihon ni umarete (“Born in Japan”) published by Hankyu Communications. Website: https://angeleno.net 

Updated July 2020

culture en ja

The Ohara style that stands face to face with nature, the Ikenob? style that digs deep within - Mr. Jose Salcedo

Instant intrigue: My encounter with ikebana

On every Friday morning during the summer of 2008 at the Japanese American National Museum, a new work of ikebana is put on display for the special exhibition entitled Living Flowers. It can literally be said that this is a ‘living work of art,’ as opposed to paintings or photography. On one Friday morning in early August, I was able to witness one of these new installments. In one corner of the venue, there was a man drenched in sweat, working on his piece with a marked intensity. That man, now in his …

Read more

media ja

日本人俳優、ハリウッドでの挑戦 その2

その1を読む>>

テレビドラマ「ヒーローズ」で一躍ブレイクした日本人俳優マシ・オカ。彼は劇中で、東京在住のサラリーマンを演じている。しかし、オカ本人は幼い頃 にアメリカに移住してきたため、日本人よりもむしろ日系人に近い。オカの父親を演じるのは日系アメリカ人俳優のジョージ・タケイ。そして、その若い頃を演 じているのが、日本からハリウッドをめざして渡米してきた尾崎英二郎さんである。

彼のアメリカとのかかわりは大学生時代に遡る。交換留学生として渡米し、アメリカの大学で経済学を学びながら、英二郎さんは自分の将来について思いを巡らせていた。そして、ある演劇学校での日々を記録した本を読んだことがきっかけとなり、ニューヨークに演劇留学を望むようになる。しかし、ニューヨークに行くまでもなく、東京にも彼が憧れるサンフォード・マイズナーの流れを汲む演劇学校があることを知り、モデル事務所での通訳、英会話学校での講師を経た後に、その学校で演劇の勉強を始めた。1998年には「ザ・ウィンズ・オブ・ゴッド」という、太平洋戦争での特攻隊を描いた舞台の仕事で、ニューヨーク公演に参加。2年目の公演では5紙の劇評で評価される。この批評で手応えを感じた英二郎さんは、帰国後、本格的にアーティストビザの取得に動き出そうと決めた。

[inline:ozaki3.jpg]

日本に戻り、いつでもアメリカに飛び出せるように、事務所を辞めてフリーランスになった彼のもとに、ブラジルの日系移民を描いた映画の話が舞い込ん だ。主演は日系アメリカ人女優のタ厶リン・トミタ。「『ジョイラッククラブ』や『ピクチャーブライド』で素晴らしい女優さんだと思っていましたから、彼女が出るというだけで僕のモチベーションは上がりました」と英二郎さんは話す。しかも、共演を終えた後、タ厶リン・トミタ本人からトム・クルーズ主演の日本を舞台にした映画の情報を聞かされた。それが「ラストサムライ」だった。渡辺謙の息子役に挑戦するも惜しくも役を逃してしまう。それでも、その役にキャスティングされたのが当時は無名だった日本人青年だったことに、英二郎さんは励まされたと言う。「やはり、ハリウッドでアメリカンドリームは叶うんだ、と勇気が出ました」

「ラストサムライ」を一度は諦めかけたものの、やはりどんな役でも自分がその映画にかかわった足跡を残したいと思い直し、戦闘シーンに登場する百人の兵士の役をつかむことができた。

思い直した理由として、英二郎さんは「日本人を中心に扱う映画が、次にいつ作られるかわからない。松田優作さんの『ブラックレイン』の前は、早川雪洲の時代にまで遡る」と説明する。そして、「ラストサムライ」から「硫黄島からの手紙」へ。「硫黄島」では、東京でのオーディションに何とか参加したものの、役を逃してしまう。しかし、クランクインの4日前に声がかかり、大久保の役を手に入れることができた。そして、次の挑戦はハリウッドでのエージェンシー獲得だった。「硫黄島」がアカデミー賞にノミネートされた段階で、108社のエージェンシーに手紙を送った結果、その中の1社が面接をする前にNBC のドラマのオーディションに送り込んでくれたのだ。しかし、ここで障害になったのはビザだった。彼はまだO-1(アーティストやスポーツ選手が対象)ビザを取得していなかったのだ。

最初の役は断念したものの、しばらくして同じ番組の別の役でオファーが来た。今度はNBCの法律部門も彼の力になってくれ、ビザが発給される10月まで撮影を待ってくれることになった。英二郎さんのビザ待ちをしたドラマこそが「ヒーローズ」だった。

[inline:ozaki2.jpg]

今はビザの問題も解決し、ハリウッドでの次の1歩を踏み出そうとしている英二郎さん。そして、ハリウッドでの自分にとってのライバルは日本人俳優で はなく、アジア系アメリカ人俳優だと断言する。演技力は当たり前、監督の演出を瞬時に理解し、自分からアイデアを出せるくらいの英語力を持ち合わせていなければ、他のアジア系俳優に日本人の役でも簡単に持って行かれるのだと常に自分自身に言い聞かせている。

今後、出演したい映画について聞くと彼は「日系移民をテーマにした作品」と即答した。実は、過去にブラジル移民の映画に出演しただけでなく、日本でもブラジル移民を主役にした「ハルとナツ」というNHKのドラマに出演したことがあり、日系移民をテーマにした作品に縁が深い。今後も第二次大戦で米軍に 従軍した日系人などを演じてみたいのだそうだ。日系一世や二世の血のにじむような苦労があって、アメリカにおける日系社会の礎が築かれた。彼らの足跡を作品に残すことで、日本人としての自分がアメリカに迎えられた感謝を形にすることができると彼は考えているのかもしれない。

Read more

culture en ja

To Arrange Flowers (Ikeru) is to Live (Ikiru): Seifū Arimura

Avoiding fixation to my own teaching methods: Gathering interest by attending lectures

The Iemoto of Ikenob? is on its 45th generation, now with over 500 years of history. Perhaps becoming an instructor is something that is passed on from our parents’ generation. Arimura-san, who originally began instruction in the southwestern district and now teaches around Costa Mesa in Orange County, also has a mother in Kagoshima who was an Ikenob? instructor.

[inline:arimura1_.jpg]

“Since junior high school, I was learning the basics directly from my mother. But of course, when you learn from someone in your own family, they tend to …

Read more

culture en ja

The heart of Flowers is universal: Ms. Youka Shiba

Comforted and calmed by flowers: Relationships born through flowers

The history of Ikenob? is synonymous to the history of ikebana. Acclaimed as the “roots of ikebana,” Ikenob? has a longstanding tradition of over 500 years. The current iemoto (grand master), Sen’ei Ikenob?, represents the 45th generation. Ikenob? has evolved from simple arrangements of flowers in the tokono-ma (living room alcove) of Japanese houses, and now has three established styles called tachibana, ikebana, and jiyu-bana (free-form).

Youka Shiba, the current district vice-chair of the Los Angeles district Ikenob?, decided to take up flower arrangement with the influence of …

Read more

media ja

日本人俳優、ハリウッドに挑戦 その1

ハリウッドで活躍する日本人俳優として思い浮かべるのは、誰だろう?ジョージ・タケイ?彼はアメリカ生まれの日系人であって正確には日本人ではな い。では、「ヒーローズ」で一躍ブレイクしたマシ・オカ?彼は日本生まれの日本人だが、幼い頃にアメリカに移住してアメリカで教育を受けている。

10年以上前のことになるが、アメリカ人に「日本人で最も有名な俳優は?」というアンケートを取った結果が日本のテレビ番組で放送されていた。アメリカ人が選んだ第一位は、何とブルース・リーだった。確かに同じアジア人ではあるが…。

近年で最も活躍が認められている日本出身の俳優は、渡辺謙だろう。彼は日本でのキャリアも長く、「ラストサムライ」に出演したことで一躍、ハリウッ ドでの知名度を上げた。渡辺が主演したクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」には実に多くの日本人俳優が出演している。その中の、ロサンゼ ルスを拠点に活動している3名に会って話を聞く機会があった。

最初に会ったのは、渡米20年目になるカネダアキラさんである。ロサンゼルスの英語学校に留学後、サンタモニカ・カレッジでシアターアーツを専攻、 歌やダンスに取り組んだ。卒業後にOPT(Optional Practical Training)を取得し、アジア人を探していたエージェンシーに登録することができた。すぐに全米版のテレビコマーシャルの仕事が獲れて、エージェン シーが労働ビザをスポンサーしてくれた。その延長線上でグリーンカードを取得することもできた。アメリカ生まれではない俳優(俳優の仕事に限らないが)が 最も苦労するのが、労働ビザの取得である。その点、アキラさんは非常に順調に、必要最低条件まで早い時期に到達したと言えるだろう。

[inline:akira1.jpg]

アジア人の役なら、アキラさんはどんな役でもオーディションを受ける。オーディションは毎回が挑戦。しかし、どんなに受けても落ち続ける時期もある と言う。彼はそれを運の波と呼ぶ。「受からないからって、そこで止めたら、それまでやってきたことが無駄になってしまう。それに挫折なんて、俳優でなくて も経験するもの。辛いことは何をやっていてもある。だったら、自分が好きなことをやって感じる辛さの方がいい。やれることがやれる幸運に感謝している」 と、あくまで前向きだ。

印象的な仕事としては、やはり「硫黄島からの手紙」を挙げた。日本人俳優たちが一致団結して現場を乗り切り、日本から参加している俳優、アメリカを拠点に活動している俳優の間に友情も生まれた。

20年に渡るハリウッドでの経験を生かして、後進を育成すべく、1年前にはノースハリウッドにハリウッドエンターテインメントアカデミーを立ち上げ た。ここでは演劇、ダンス、声楽を教えている。わずか1年という実績ながら、日本でデビューが決定した生徒もいるそうだ。アキラさんの今後の目標は、アカ デミーを育てること、そして、「ハリウッドで活躍している俳優」として、日本のテレビ番組に出演することだそうだ。

次に会ったのは、30年以上のキャリアを持つトシ戸田さん。日本で劇団四季に所属していたトシさんは、1974年、ブロードウェイに憧れて渡米し た。アメリカ人女性と結婚してグリーンカードを取得後、夢のブロードウェイで舞台中心に仕事を続けた。そして1980年後半に「エニシングゴーズ」という ヒット作品に、2年に渡って中国人役で出演したことが彼にとっての転機となった。舞台を演じている時は大きな話題にもなり、充実感に包まれていた。しか し、それが終わると、今度は大きな喪失感に襲われた。舞台は後に残る物ではない。できれば映像の作品に出演して、形として残せる仕事をしたいと強く望むよ うになったのだ。

[inline:toshi2.jpg]

1985年には日本人女性と再婚していたトシさんは、ダンサーだった妻の仕事でロサンゼルスを訪れた。その時に、「ハリウッドで仕事をしたい」とい う思いが募った結果、いったんニューヨークに戻ったものの、その気持ちを打ち消すことができなかった。トラックに家財道具を乗せて、夫婦でアメリカ大陸を 横断してきたのは、1990年のことだった。

トシさんもアキラさんと同じく、オーディションを受け続ける日々を送っている。「メナースII」という黒人ギャングの映画に韓国人役で出演した時 は、見る者に強烈なインパクトを与えた。撃ち殺される前に「I feel sorry for you mother」という、自分で考えたセリフを口にしたところ、それが広告にも使われた。

舞台では中国人、映画では韓国人と、やはりアジア人役なら何でも挑戦すると言う。しかし、一方で日本人役であれば日本人の自分が絶対に獲りたいと、 執念にも似た強い気持ちでオーディションに臨んでいる。「特に、自分の中に大和魂を感じるからこそ、『硫黄島からの手紙』の仕事は絶対に欲しかった」とト シさん。

日本での少年時代、「ローハイド」をテレビで見ていたトシさんとしては、クリント・イーストウッドの映画に出演できたことも、ハリウッドに来て良かったと思える一大イベントになった。

しかし、トシさんの挑戦はまだ途上である。彼の目標は、アカデミー賞のレッドカーペットを歩くことだ。もちろん、歩くだけでなく、ぜひ受賞してほし いものだ。ブロードウェイを夢見て、単身で渡米した時の気持ちを忘れることさえしなければ、挑戦の先には夢の実現が待っている。また、トシさんやアキラさ んのような、日本人俳優の実績が、これからハリウッドで活躍したいと望む日本人や日系人俳優たちの需要を変えることにもなるのではないか。ハリウッドでは 長い間、アフリカ系の俳優の配役が制限されてきた。しかし、それもシドニー・ポワティエという名優の出現以降、徐々に変わってきた。今ではエディー・マー フィーやウィル・スミスなどのアフリカ系スーパースターが活躍する時代だ。ぜひ、日本人、日系人、広くはアジア人のハリウッドでの市場開拓のために、彼ら が21世紀のパイオニアとなって足跡を残してほしいと思う。

その2 >>

 

Read more