この古いフィルムには、前回記載したシーン以外に、私の一家と深い関わりのある映像が含まれている。それは父が一生を賭けたドウラードス植民地事業に関してである。今でも私の手元にこの古い映像が残っていることに、私は不思議な因縁を感じずにはおれない。
私の父母一家は、1945年にパラナ州のアプカラナ市に入った。歯の技工士の職業と、耕地周りの仮の歯医者の仕事もしていた父は、その傍ら、終戦後、勝ち組が刊行していた雑誌「光輝」(ひかり)のパラナ州支部長でもあった。
そのため、当時家の前には雑誌「光輝」の看板がたっていた。ある時、認識派のメンバー達が、それを写真に撮り、政治警察に渡したのだ。その結果、父は逮捕され、ロンドリーナ市の刑務所に収監された。そこからは、友人たちのはからいで数日後には釈放された。
そんな生き方に嫌気をさしていた父は、何か自分にあった事業を常に探していた。その兆しを見たのが、パラナ州政府が所有する未開拓地があると聞き入れた時であった。そして1948年、父はドウラードス植民地事業に乗り出した。
父の残した古いフィルムには、父がその事業に対する使命宣言を、「ブラジル移民の父」と言われる上塚周平(1876~1935) の墓の前で読み上げている場面があった。また、1951年に録画された映像には、60,000アルケール(*)のドウラードス植民地事業の現場も映しだされていた。…