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The Nikkei of Latin America and Latino Nikkei

日系人とスポーツ:誇れる試練と連携

2016年のリオ五輪では、地元日系社会は様々な方法で日本をサポートした。ブラジルを訪れた数千人の日本人観戦者の医療支援1やボランティア案内などだけではなく、各競技では日本人選手を応援し、女子マラソンでは「応援こいのぼり」まで準備したのである。また裏方としても、公式マスコット「ビニシウスとトム」を製作したのは日系人のルシアナ・エグチで、聖火リレーのトーチをデザインしたのも日系人のホーミー・ハヤシである。一方、五輪選手としても二人のブラジル日系人が銅メダルを手にした。アルトゥーロ・オヤカワ・マリアーノ選手が体操の男子種目別床運動で、そしてポリアナ・オキモト選手が水泳のオープンウオーター女子10キロで、この功績を残した。一部の競技では、ブラジル代表チームのコーチとして、また審判として活躍している。

選手や五輪関係者に日本人の名字が出てくると、やはり嬉しいだけではなく一部のメディアも取り上げることが多く、その経緯などが紹介される。

ブラジルは、世界で最も日系人が多い国でその数は160万人にも及ぶが、来年で日本人移民110年を迎える。三世・四世が現役で、混血比率もかなり高い。日本語が話せる日系人が少なくなっているとはいえ、日本への想いや憧れ、留学したいという希望は逆に強くなっている。

日系人とスポーツとの関係は、移民した日本人に遡り、コミュニティーを形成する過程で日本語学校などを整備した段階から子弟の運動会が大きなきっかけになる。野球や相撲、バレーボール、卓球などが典型的な日系社会の競技だが、こうした活動は日系社会の団結や連携を強化することにも役立った。

実は、私も幼少期から少年時代は、地元日系社会のチームで野球を始め、バレーボールや卓球をやった。コーチはクラスメイトのお父さんかスポーツ万能な先輩で、保護者会の多大な尽力によって州内の大会にも参加した。当時、ときどき日本から届く週刊少年マガジンに掲載されていた漫画「巨人の星」を読みながら、自分も星飛雄馬(ほしひゅうま)投手のように上手くなりたいと妄想したものである。また、巨人軍の王貞治選手や長島選手に憧れていた。ただ、グローブもボールもなく、はじめはすべての用具は手製のものであった。次第に、中古のものが入るようになり70年代の半ばぐらいになってはじめて日本の親戚から贈られた新品のグローブを手にした。卓球のラケットも同じであった。その時の喜びは今も忘れることができない。我々のチームはそう強くなかったが、近隣の日本人会チームとの親善試合や地域大会に出場することによって少しずつだが良い成績を収めるようになった。リーグでは、ブエノスアイレスの外資系企業の少年チームやサッカー名門クラブの野球チームとも試合をするようになったが、勝ったことがあまり記憶にない。卓球に関しては、その実績によって中学と高校では地元のアルゼンチン学校では優秀か上位に付くことができ、それなりの功績を残すことができた。

アルゼンチンはブラジルやパラグアイなどと同様にサッカー王国であるが、そこで同等に現地の選手と勝負するのは体格的にはあまりにもハードルが高かった。しかし、卓球やハンドボールなどでは、体が大きくなくとも器用で小回りがきいて、機転がきくとかなり活躍できる。だから、地元の町や地域大会で優勝して学校にトロフィーを持って帰ると、あっという間に体の小さい日系人でも忽ちヒーローになることができる。こうした積み重ねが、クラスメイトに対してだけではなく地域社会にとっても我々の存在をアピールする絶好のチャンスになったのである。

どの競技でも、日系人がその国の全国大会や国際トーナメントで実績を残すと、当然ながらその社会全体の誇りになる。また、いかなる政治状況でもときには差別や偏見との戦いの手段にもなる。2014年に公開された「バンクーバーの朝日2」(東宝、フジテレビ開局55周年記念作品)は、戦前カナダのバンクーバーで起きた日系人と地域社会のストーリーで、摩擦や偏見を野球によって戦った物語であり、実話にもとづく作品である。現地のチームに実力的にも体格的にも勝てない日系人チームは、バントと盗塁を屈して最終的にはその地域で優勝するのだが、その過程で反日感情もカナダ人からの視線も少し変わっていくのである。かといって、その優勝によってすべての権利が尊重され、仕事や高等教育の機会均等が達成されたわけではない。また、野球の功績によって日系人はいつも通りの生活を送り、摩擦を避け、嫉妬を助長しないように細心の注意を払い続けたのである。残念ながら、戦争になったことで彼たちは適性外国人に指定され、財産は没収、強制的に収容所もしくは日本に送還されてしまうことになる。

南米諸国でも、日本人移住者が農業や商業で成功するようになると、そして二世が一流大学に進学して首席で卒業するようになると、それに対する妬みが広がり、反感を買うようになる。ペルーでも戦争によって多くの日本人が拘束され、店や農地を手放すことになり、アメリカの強制収容所に送られてしまうのだが、戦後は、1950年代から二世たちがサッカーなどを通じて大きな活躍を見せる。プラジルやアルゼンチンと違ってペルーは以前からそれほどサッカーが強い国ではなかったが、そこに日系人選手がプロの名門チーム(ウニオン・ウアラル、ウニベルシタリオ・デ・デポルテス、アリアンサ・リマなど)に入るようになり、80年代ぐらいまでは大きな功績を残している。ルイス・ラローサ兄弟のダニエルは3年連続得点王になり、ハイメは1960年のローマ五輪でペルーの代表選手になる。そして、ペドロ(通称「ペドリート」)は、どのチームでも優勝に貢献し、1975年には南米選手権「コパ・アメリカ」でペルーの優勝に大きく貢献している。70年代には、ホルヘ”コキ”平野松本という選手がボリビアのラパスで大活躍した。彼は海外で最も得点したペルー人サッカー選手である3

日系選手がその国を代表するチームのメンバーになるとその効果は抜群で、出身校や地元住民、競技連盟とその社会全体が日系人の貢献を認識するようになる。とても目立つし、話題になる。しかし、ここで天狗になってはならず一番重要なのは謙虚にその実績を喜び、さらにコーチもしくは監督として新たな人材を育成し、社会に還元することなのである。

戦前の移住時から、柔道や空手でもそうした役割を果たしているが、現地の非日系人が有名選手になると必ずと言っていいほどそこには日本人か日系人の指導者がいる。警察や軍で武術や格闘技を教えてきた日系人も多い。

Confraternidad Paraguay 2011のポスター。合計10種目で競技が行われた。

現在、多くの国では日系人の世代も三世、四世がメインになりつつあるが、中南米の日系社会では二年に一回、日系スポーツ大会「Confraternidad Nikkei 」が開催されている。いくつかの競技で参加国は可能なかぎりの選手を開催国に送り、競い合う。大会の名前が「Confraternidad コンフラテルニダー」なので親善、友好という意味合いが強い。中南米の域内の大会とはいえ、以前は渡航費もかなり高額だったためこのような企画は実現が困難だったが、ここ20年前から積極的に行われており、2014年にはボリビアのサンタクルスで、2016年はメキシコで、そして2018年には日系人が3,000人とされるチリで開催される。どの国も、二年の歳月をかけていろいろな事業で資金を工面し、参加する選手の親御さんも全面的に協力しながら主催国として多くの日系人の参加を待つのである。いずれ、日本の高校生や大学生がこうした大会に参加できれば、南米の日系社会にとって大きな刺激になるし、競技のレベルアップにもつながるに違いない。

南米の多くの国では、野球はマイナーな競技であるが、それでも近年は日系少年野球チームが日本にも来ていくつかのトーナメントに参加している。また、アルゼンチンに関しては日本の兵庫県立大学のチームがJICAの事業で強化合宿に協力している4

写真 3: アルゼンチン、ブエノスアイレス州、LA PLATA-ESCOBARジュニア日系野球(混合)チーム  © Shota Asari, 2016

平和な時代ではこうした交流や強化支援事業が可能だが、そうでない時や紛争の後は必ずと言っていいほどスポーツを突破口にして交流を再開することが多い。日系人にとっては、コミュニティー内の連携強化が以前の目的だったが、今は地域内や日本との交流が大きな目標になっている。

注釈:

1. 「サンタクルス病院=リオ五輪に医師ら派遣へ=日語で診察、24時間体制で=患者受入に無料電話も設置」(2016年7月22日、ニッケイ新聞)

2. 作品「バンクーバーの朝日」の公式サイトです。 

3. 「ホルヘ・平野:アルティプラノで神風」(2008年10月10日、DeChalaca.com)[スペイン語のみ]

ペルーの日系選手の活躍に対しては、「日系のサッカー選手:ボールに魅了された物語」(2017年3月15日、ディスカバ・ニッケイ)を参照。

4. スポーツ国際貢献事業「スポーツ・フォー・トゥモロー」というもので、JICAが実施している。ブエノス州のラ・プラタ日系チームが選抜メンバーであり、この支援の対象であり、日本でも強化試合を行っている。

兵庫県立大学とボランティア事業の促進にかかる覚書を締結」(2014年9月2日、JICA)

 

© 2017 Alberto Matsumoto

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About this series

Lic. Alberto Matsumoto examines the many different aspects of the Nikkei in Japan, from migration politics regarding the labor market for immigrants to acculturation with Japanese language and customs by way of primary and higher education.  He analyzes the internal experiences of Latino Nikkei in their country of origin, including their identity and personal, cultural, and social coexistence in the changing context of globalization.