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ロサンゼルス日系社会に大きな影響を与えた仏教会-1930年代の浄土真宗の開教使の記録から

ロサンゼルス日系社会に大きな影響を与えた仏教会-1930年代の浄土真宗の開教使の記録から
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南カリフォルニア地区における浄土真宗西本願時派の拠点といえるのがロサンゼルス・リトル東京にある西本願寺ロサンゼルス別院だ。このお寺では、45年以上にわたって1月初旬に「米国版紅白合戦」という歌謡ショーが行われ、毎年1000人近い観衆を集めている。

「米国版紅白歌合戦」の企画とステージ司会に第1回から参加している二世の西タックさん(現在、80歳)は、ウエスト・ロサンゼルスのソーテル地区で生まれ、1941年から1956年を鹿児島県加世田市(現在・南さつま市)で過ごした。西さんの本業はガーデナ(庭師)で歌謡ショーの企画や司会をやるようになったのは、1960年代にウエスト・ロサンゼルス仏教会(ソーテル地区)で日本で教育を受けた二世の集まり「寿会」に参加したことがきっかけだった。西さんは、この歌謡ショー活動のほかに、南カリフォルニア庭園業連盟の役員、南カリフォルニア鹿児島県人会の役員も長年にわたり引き受けていて、ロサンゼルス日系社会になくてはならない存在だ。

一方、ロサンゼルス市の南側に隣接するガーデナ市は、日系人が多いことで知られている。この市にあるガーデナ仏教会には、8畳の茶室があり、ロングビーチ生まれの三世・猪瀬加代子さん(現在75歳)はここで週1回茶道を教えている。三世だが、父親が日本で教育を受けた二世なので、日本語もうまく、日本文化をよく知っている日系人だ。

猪瀬さんの青春は1960年代で、ガーデナ仏教会の青年部で過ごす時間が多く、夫の三世のケンイチさんともガーデナ仏教会で出会っている。猪瀬さんは1986年に家族経営していた苗木ホールセール事業を売却、引退後に多くの日系団体の役員を引き受けるようになり、茶道を始めた。現在では裏千家同門会ロサンゼルス協会の幹部のひとりになっている。

西さんや猪瀬さんの例に見られるように、現在のロサンゼルスの日系社会でリーダー的役割を果たしている人には、ロサンゼルスの仏教会で育ったり、青春を過ごした人が少なくない。

日系社会における仏教会の役割に関心を持っていた筆者に、思わぬ宝物をくれたのが、ガーデナ仏教会の長年の幹部メンバーで、米国仏教団のサンフランシスコ本部で教団新聞の編集にも携わったこともあるアラン・キタさんだった。猪瀬さんの茶道教室をガーデナ仏教会に見学に行った際に、キタさんを紹介された。

その日のうちにキタさんが、100ページにわたる論文を送ってくれた。それは、1931年に設立されたガーデナ仏教会の初代開教使、小倉康生(おぐら・こうせい)師が、1932年9月28日に南カリフォルニア大学社会学部に提出した修士論文  “A Sociological Study of the Buddhist Churches in North America with a case study of Gardena, California, Congregation”(北米における仏教会に関する社会学的研究、カリフォルニア州ガーデナの会衆に関するケース・スタディーを含む)だった。

 1930年に集めた仏教会活動のデータを基に書かれたもので、北米における浄土真宗の布教の歴史や1930年代初頭の仏教会の課題や目標が明確に記述されていた。

小倉師は、まず、北米における仏教会と日本のお寺の違いについて説明している。この説明は、21世紀になった今でも、日米の違いを理解するために役に立つ。日本のお寺は、一人の僧侶によって建立され、その僧侶の直系家族が引き継いでいく。それに対して、北米の仏教会は、各州が認めた宗教法人であり、寺院に相当する建築物はその宗教法人が所有し、僧侶はその宗教法人から手当てをもらう。

北米における浄土真宗西本願寺派の活動は、1898年にサンフランシスコ仏教会が創立されたことから始まる。1899年には、サクラメント仏教会、1900年にはフレスノ仏教会が設立される。ロサンゼルス仏教会(現在の西本願寺ロサンゼルス別院)の設立は、北米で9番目で、1905年のことだった。この年にはカリフォルニア州中部に位置するハンフォードと、カナダ・バンクーダーにも仏教会ができている。

北米での布教活動の本部となる北米仏教団(The North American Buddhist Mission)が、サンフランシスコに設置されたのは、1899年5月だった。第二次大戦以降は、教団名は、The Buddhist Church of America(略称BCA、米国仏教団)になっている。各地の仏教会に開教使を派遣する権限は、米国仏教団が持っている。

小倉論文によると、1930年には、デンバーまでを含む、アメリカ西部には西本願寺派の仏教会が35カ所あり、その他の宗派の寺院の数はわずか8カ所しかなかった。また、1930年代の初めには、約3万人の日本人移民が仏教会に属していたとあり、1942年に強制収容された日本人・および二世の人口が約11万人だったことを考えると、当時の日本人移民の3人に1人が仏教会に属していたことになる。当時の日系コミュニティーは独身者も多かったから、家族数で比較すると、2家族のうち1家族が仏教会のメンバーだったかもしれない。

小倉師は、仏教会メンバーの3分の2は日本ですでに仏教徒だったこと、西本願寺派の寺院が多い県からの移民が多かったことを、仏教会のメンバーが増えた理由として挙げている。そして、日本人移民が仏教会に集まるのは、信仰のためではなく、社交が大きな目的であったと報告している。

また当時、浄土真宗の一般アメリカ人への布教が全く進んでいなかったので、浄土真宗がこれからアメリカで生き残って行くためには、二世たちが大人になっても、仏教会に通い続けることが、アメリカでの浄土真宗存続の唯一の可能性であると述べている。

各地の仏教会が開く日曜学校や土曜日や平日の日本語学校には、仏教会メンバーの子供たちが集まっていた。その理由として、子供に日本語を教えたいという親の希望があったとともに、二世の子供たちに仏教に関心を持ってもらうことこそが、仏教会が生き残っていく唯一の可能性という教団側の積極的な取り組みがあったからだ。

日系人の強制収容の時代に、日系人の所有する土地や建物はすべて没収されたと言われているが、戦時中のロサンゼルス地区の仏教会の建物は、キリスト教牧師ジュリウス・ゴールドウォーター師(Rev. Julius Goldwater)によって守られていた。1945年8月から、日系人の強制収容所からの帰還が始まると、ロサンゼルスの仏教会の建物は、臨時ホテルとしてだけでなく、情報交換の場や就職斡旋場といったコミュニティーセンターとしての役割を果たすようになる。

ガーデナ仏教会の場合、1949年になってやっと本来の仏教会の役割を復活することができた。1960年代には、ロサンゼルス数カ所で、新たな仏教会が設立され、その隣接地に日系コミュニティーセンターが作られ、仏教会と日系コミュニテーは最盛期を迎える。

最初に紹介した西タックさん、猪瀬加代子さんの例のように、現在のロサンゼルス日系社会で、70代から80代前半のコミュニティー・リーダーたちに仏教会の影響を受けたひとが少なくないのは、1960年代に仏教会の活動の中で日系社会の人間関係が作られたからだ。

 

© 2017 Shigeharu Higashi

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