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おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第二章「集合所」という強制収容所: 1942年春から秋にかけて (2)

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ぶつける批判

高校生ともなると、学校で教わった、人権を守る憲法とは、あまりにも違う政府のやり方に批判をぶつけることもありました。次は、ブリードさんの子どもたちの一人、アイコ・クボの兄、高校3年生のカイゾウが残したものです。

ぼくの世界は眼の前で砕け落ちた。有刺鉄線で囲われた目的地に一歩足を踏み入れた瞬間から、心に違和感を覚えた。この瞬間まで保っていた空威張りは、魂が抜けたように消えていた。ちっぽけな自分、一人ぼっちの自分という感情が突然襲った。投獄されたという実感が湧いてきた。

遠方の冷ややかで暗い監視塔の輪郭は、ぼくを脅かし、かかって来いと言う。その醜い巨大さと、それが象徴している権力を憎む。それが意味するものに対して軽蔑の念を抱く。監視塔は、囚人であるという逃れようのない事実をぼくに突きつけるのだ。

このようにしてぼくは、隔離者としての第一歩を歩み始めた。……最初は、自分を取り巻く周囲の沈黙を打ち破れば、何とかなるぐらいに考えていた。……二万人の魂が思案に暮れていた。楽しいはずがなかった。1

心に残ること

子どもたちの心に深く刻まれたのは、鉄条網の高いフェンス、ライフル銃をもった兵隊、機関銃を添え付けた監視塔、夜ごと行われる点呼、一定の間隔で部屋にさしこむサーチライトの光。子どもごころに、ここは今までとは違う所だと感じとっています。次にあげる感想の一番目はトゥーレアリ仮収容所のジーン・オオイシ、点呼の感想はタンフォラン仮収容所にいた女の子、最後はサンタ・アニタ仮収容所の七歳のルース・オキモトのものです。

…… 鉄条網の高いフェンスに二重に囲まれていた。二重のフェンスということは、ぼくたちを閉じ込めていることを示している。これが一重であったらば、フェンスがあるのは、ただ単に場所の境界を示すためだ、と考えられなくもない。だがトゥーレアリのこの施設は、誰が見ても捕虜収容所そのものとしか思えない。剣先をつけたライフル銃をもった兵隊が、二重のフェンスの間をパトロールしている。最初、ぼくたち子供たちの何人かは、兵隊と仲良くなろうとした。フェンスのほうに歩いていって「やぁ」と声をかけたのだが、何の返事ももらえなかった。黙っているばかりか、多少の敵意さえ感じられたので、それ以上のことはしないで退散した。フェンスに沿って監視塔が設けられており、それぞれに口径0.5インチの機関銃が添えつけられている。銃身が麺棒のような形のごついやつである。2

午後6時半に毎日点呼がありました。毎日、点呼の前は、レクリエーション・ホールでバスケットボールをしたり、鉄棒をしたりして遊んでいました。(点呼が近いことをしらせる) そのサイレンが鳴ると、わたしは時々、叫び声をあげるほど怖くて怖くて。周りの人はサイレンより、わたしの叫び声を怖がっていました。私たちは急いで家に帰り、五分ぐらい待つと、点呼係がやってきて、家族全員がいることをチェックします。……そして、点呼がおわると、またサイレンが鳴って、点呼終了を知らせます。……わたしをこんなにも恐怖におとしいれる点呼が大嫌いでした。3

……(わたしのベッドは)カーテンのかかっていない窓の側で、一晩中、サーチライトの光が、ベッドに横たわって寝ようとしているわたしの顔にあたり、眠りにつくのを妨げました。後になって詩をかいたんですよ。「サーチライトに盗まれたわたしの夜の闇」というの。4

強力なサーチライトを屋根の上に付けた監視塔
(写真:ジャック・イワタ、アメリカ国立公文書記録管理局;Densho ID: denshopd-i37-00228)

収容所での経験は年齢によっても違ってきます。同じサーチライトにまつわる経験にしても、パインデール仮収容所の17歳のメアリー・マツダのは、7歳のルースの場合とは大きく違います。メアリーの思い出から———

朝4時頃、トイレに行こうと思った時のことです。パジャマの上にコートをはおり外にでたのですが、すぐに巨大な閃光に包まれてしまいました。まぶしくて、手を目のまえにかがそうとしたときに、近くの監視塔から照らされているサーチライトが、私に焦点をあてているのだと気付きました。暗闇でサーチライトがわたしのプライバシーを捕らえて、監視塔にいる兵士に暴露していたのです。目がくらんで、呆然としたなかで、自分が犯されたように感じました。自分に焦点をさだめているサーチライトをやめさせる手だてもないわたしは、急いでバラックに戻りました。そんなわたしをサーチライトの光は追い、私が家にはいってドアの内側から(光が勝手にドアを開けはいってこないように)からだで押さえつけている間もドアの外側を照らし続けていました。しばらくして、サーチライトはいつもの機械的操作に戻りました。 震えながら部屋のなかの暗闇で「17歳にして、私は自分の国の捕虜なんだ」という事に思いを馳せていました。5

朝になって、この事を家族に話したメアリーは、父親の顔にサーチライトからも娘を守れない無力さと挫折の影を見て取ります。


仕事

ピュアラップ仮収容所のヘンリー・ミヤタケはどうしていたかって? 実は仕事をしていたんです。きっかけは共同食堂での食事。初めはだれにもわかっていなかったけれど、大食堂で食事をすることが後々家族のきずなを弱めていくことになります。しかし、子どもたちにとっては、友だちと食事ができるのは喜びでした。ヘンリーもそう。でも、困ったことに、友だちと違う食事時間を指定されます。それでもヘンリーは、友だちと一緒に並ぶことにしました。

しかし、長い食堂の列には、それを取り締まる日系人の係員がたっていて、「君はちがうブロックだろう」と、つまみ出されます。だから、僕は食べないで、友だちが食べるのを待って一緒に遊びにいくか、その係員に腹を立てて、自分のブロックの番になっても並びたくないと思っていました。…… 係員は同じ人が一度に何回も食事をしないように見張っていたんです。で、どういう訳か僕を目の敵にして。…… ある日、こんなことにうんざりして、兄に話したんです。すると、兄は「……がまんしろ。(あいつらはいつもはもっていない)権力を手にいれたんだから、エゴが膨らんでいて、どんなことでもしでかすぞ」と。6

何か言い出そうとしたヘンリーを制して、お兄さんは「実は、電気関係の仕事をする人がもっと要るんだ。ヘンリーはどの仕事仲間より電気については詳しい。電気部門で働かないか?」と誘います。一応、キャンプ内で仕事ができるのは16歳以上という規則があるのですが、そこは混沌とした状況下、だれもとがめる人はいなかったようで、12歳のヘンリーは、電気部門の一番若いクルーになります。しかも、仕事をしていると、食堂に並ばずに入れるので、あの取り締まり係員の側を颯爽と通り過ぎ、食堂の入口にむかう毎日でした。

第二章(3) >>

 

注釈:

1. 前掲「親愛なるブリードさま」

2. ジーン・オオイシ著、染谷清一郎訳「引き裂かれたアイデンティティ———ある日系ジャーナリストの半生」岩波書店 1989

ジーン・オオイシの家族が落ち着いたのはカリフォルニアのトゥーレアリ仮収容所。FBIにつれていかれていた父親を除く家族6名が、三・六メートルx六メートルの部屋で暮らすことになります。ジーンが注目したのは有刺鉄線で二重に囲まれた鉄条網と機関銃が備え付けられた監視塔。その機関銃は収容所の内に向いていたのですから、収容は日系人を暴徒から守るためという政府の言葉を信じていた人も、現実を直視せざるえませんでした。

3. Tunnell, Michael O. & Chilcoat, George W. The Children of Topaz: The Story of a Japanese-American Internment Camp, New York: Holiday House, Inc., 1996.

4. Ruth Y. Okimoto, interview by Tom Ikeda, April 8, 2011, Densho Visual History Collection, Densho.

5. Gruenewald, Mary Matsuda. Looking Like the Enemy: My Story of Imprisonment in Japanese-American Internment Camps. Troutdale: NewSage Press, 2005.

6. Henry Miyatake, interview by Tom Ikeda, May 4, 1998, Densho Visual History Collection, Densho.

 

* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第134号(2013年7月)からの転載です。

 

© 2013 Yuri Brockett

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About this series

東京にある、子ども文庫の会の青木祥子さんから、今から10年か20年前に日本の新聞に掲載された日系の方の手紙のことをお聞きしました。その方は、第二次世界大戦中アメリカの日系人強制収容所で過ごされたのですが、「収容所に本をもってきてくださった図書館員の方のことが忘れられない」とあったそうです。この手紙に背中を押されるように調べ始めた、収容所での子どもの生活と収容所のなかでの本とのかかわりをお届けします。

* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第133号~137号(2013年4月~2014年4月)からの転載です。