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麻が結わえた南米との絆 =エクアドルの古川拓植= その3/3

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アバカ林の先に日本庭園=受け継がれる移住者の信念

サントドミンゴから南へ約40分、ケベド市の少し手前に「バルサ買います」という小さな古びた看板がぶら下がっている。門を抜けると、看板には似つかわしくない大きな工場が現れた。

積まれた丸太を軽々と投げ渡し、大きな回る刃にあてて分割していく、それは木の太さからは信じられないほどの素早さだ。

それもそのはず、ここは世界一軽い木バルサの製材所だ。現在はほとんど製材所にやってくることはないという創業者の羽富(はとみ)博さん(69、茨城)が工場を案内してくれた。

先ほどの機械で長さと太さを大体揃えられたバルサは、大きな乾燥室に約13日間に入れられ、水分が90パーセントから8パーセントになるまで乾かされる。もともと軽い木であるが水分が抜けたバルサは固いスポンジのように軽い。

バルサ材はアメリカに輸出され、「そこから全世界に行く」と言う。

羽富博さん「エクアドルが肌にも性格にも合ってる!キトは寒くてだめだ!」

* * * * *

「バルサのいいところはね」と羽富博さん。「種を撒いてから4、5年で切れる。手入れもほとんど必要ない。ちょっと土地が余っている人は種を撒いておけば臨時収入を得られて助かるんだよ」。

羽富さんがエクアドルに来たのは72年。日本の商社の駐在員として来たが独立した。古川拓殖の2代目古川欽一社長の資金援助でBALPLANTを設立したのだ。

「がむしゃらに働いて、工場に泊まったりもして30年は日本に帰らなかった」と当時を懐かしむ。

最盛期よりは落ち着いたものの、現在も月に8コンテナを出荷するバルサは、船や冷蔵庫、車の内貼りに利用されている。また最近では風力発電の羽根にも使われているとのこと。

「昔はその辺に生えている木を切って、売りに来る人もいたけど、保護のために今は完全にプランテーション」と言う。

BALPLANTは植林・製材だけではなく、バルサの種を採取し選別して、植えたい人にただで分ける。そして伐採時期になると従業員が切りに行き買い取る。

「共存共栄が大切」という博さんは、従業員にも愛される。組合もなく、約70人いる従業員からは気軽に声を掛けられ長く働く者も多い。

現在は二男の直樹さん(34)に運営を任せ、本人は趣味の盆栽三昧の生活をしている。

「あいつはなかなかやるよ。毎日好きなことをやらせてもらってありがたい。息子にも今があるのは古川さんのお蔭だと言い聞かせている。毎年命日ごろに手を合わせに行くよ」

直樹さんもまた、ゼロから立ち上げた父を尊敬してやまない。バルサ以外の事業を始めたり、製材所を大きくしたりする計画があるが、設立時に博さんが植えたクラベジンは緑のスペースとして取っておこうと提案してくれたと言う。

「木も人も育てるのは難しいからうまく大きくなってくれると嬉しいんだよな。いろいろあったけど今となったら面白いアドベンチャーだね」と笑う博さんは、まだまだこれから何か始めそうなエネルギーに満ち溢れていた。

* * * * *

古川拓殖から独立した日本人の農園を通り過ぎ、さらに先に進んでいったところに、古川拓殖の記念庭園はある。

アバカやヤシの林から突如現れる日本庭園――思わず息を飲む光景だ。池にはたくさんの立派な鯉が悠々と泳いでいる。

向かい合う初代義三と二代目欽一の銅像の横でひときわ目を引くのが三本の円柱が立った黄金のオブジェ。これは3本一組で繊維を取るアバカそのものだ。

そして記念碑には亡くなった関係者の名前のプレートが並べられている。普段は人が訪れることはなくひっそりしているが、整備の行き届いた庭園は初代の信念と衰えぬ影響力を感じさせる。

庭園内にはダンスホールもあり、そこからは220ヘクタールのアバカプランテーションが見渡せる。

古川拓殖のアバカ加工工場と倉庫には、ここのほか前述の羽富さんのバルサ製材所近くにある2000ヘクタールを超える土地で栽培されたアバカも毎日運び込まれる。

買い取りもしており、以前より減っているというもののエクアドルのアバカ業者としては圧倒的だ。

それぞれの形で受け継がれる移住者の信念と新しい試み。古川拓殖はエクアドルに住む日本人にだけでなく、同国の産業にも大きな影響を与えた。戦前ダバオからの日本人移民の情熱はここエクアドルに確かに根付いていた。

 

* 本稿は、『ニッケイ新聞』(2013年9月19、20日掲載)からの転載です。

 

© 2013 Nikkey Shimbun

agriculture Ecuador Fukukawa Takushoku (firm) migration plantations
About the Author

Born in 1982. Originally from Izu, Shizuoka Prefecture. Moved by the Japanese colonies she visited in Bolivia and Brazil while studying at university, she undertook journalist training at the Japanese newspaper Nikkei Shimbun after graduating. She then happened to become the wife and mother of a Japanese person, and continues to work as a correspondent for the newspaper. She currently lives in Ecuador.

(Updated March 2014)

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