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https://www.discovernikkei.org/en/journal/2014/1/15/5179/

日本建築の美しさを世界に―中谷新七と桑港の日本庭園

今から5年ほど前、わたしはロサンゼルス郊外に住む広島県系(廿日市)の日系二世、中谷カツヤさんに会う機会がありました。初めて彼の自宅を訪れたとき、初対面にもかかわらず、みずからの人生経験を詳細に語ってくれたこと、日本の親族のことを紹介してくれたことをよく覚えています。

中谷カツヤさん

今回は中谷家のエピソードのひとつとして、桑港(サンフランシスコ)の日本庭園について紹介します。

桑港の日本庭園には、茶屋、鐘楼(しょうろう)の門、鳥居、太鼓橋があります。実はこれらの建築物は、中谷さんの曽祖父、新七(しんしち)さんによって造られたものなのです。

桑港の日本庭園は、1894年の加州冬季国際博覧会のためにつくられたものです。そして、日本庭園に設ける建物物などをつくるにあたり、新七さんに白羽の矢が立ちました。彼は地御前神社の社殿をつくったことでも知られる、広島を代表する宮大工でした。

桑港に日本庭園をつくることを依頼された当時、新七さんは日本にいました。依頼を受け、彼は日本国内の最高級の資材を集め、地元広島において、柱や壁などといった、日本庭園に設ける建造物に必要なものを日本でつくり、船で桑港に輸送しました。その後、渡米した彼は日本から運ばれてきた建築部品を、桑港に設けられた博覧会の会場で組み立てました。

鐘楼の門(写真撮影: Joe Mabel ウィキペディアより)

これらの作業は、当時の中谷家にとって、非常に大きな経済的負担となりました。輸送の費用を捻出するため、新七さんは、先祖代々の土地の一部のみならず、先祖代々に伝わる宝物などを売却しました。私財を投げ打ってでも、日本建築の美しさをアメリカに伝えたい。そんな新七さんの日本の美への強い情熱が、桑港の日本庭園にある茶屋、鐘楼の門、鳥居、太鼓橋にはあらわれていると、わたしは思います。

太鼓橋(写真撮影: Leonard G. ウィキペディアより)

しかし、話はこれでは終わりません。ある時、カツヤさんは、日本庭園のそれぞれの建物の詳細を記した銘板(プラーク)のうち、太鼓橋のそれだけが、人目につかないところにあることに気づきました。

そこでカツヤさんは、公園を管理する桑港市に銘板の移設を訴えました。要求はなかなか受け入れられませんでしたが、度重なる要求の結果、銘板は移設されることとなりました。

ところが、この銘板が、太鼓橋のステップとステップのあいだに「埋め込まれた」かたちで移設され、さらには、人々の目線よりも低いところにあったので、彼は不満をあらわにしました。

カツヤさんは、JAリビングレガシーや友人らの協力をもって、市にたいして、銘板の再移設を訴えたところ、ようやく、市は彼の要望に応じ、銘板を再設置する運びとなりました。

カツヤさんが銘板の移設にこだわった理由は、桑港の日本庭園では、それを設計した人物の名前だけが知られている一方で、細部に携わった宮大工の偉業がほとんど知られていないからでした。私財を投げ打って、日本の美をアメリカに伝えたいと願った曽祖父、新七さんの功績を、後世に語り継いでいきたいという強い思いから、彼は桑港市にたいして、陳情を続けたのです。

わたしは、中谷さん自身に、新七さんへの情熱とプライドがしっかりと引き継がれていることを強く感じとりました。

中国新聞に取り上げられた曽祖父・新七さんの記事を紹介する中谷さん

© 2014 Takamichi Go

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About the Author

He studied American social history and Asian-Ocean American society, including the history of Japanese American society, at Orange Coast College, California State University, Fullerton, and Yokohama City University. Currently, while belonging to several academic societies, he continues to conduct his own research on the history of Japanese American society, particularly in order to "connect" Japanese American society with Japanese society. From his unique position as a Japanese person with "connections" to foreign countries, he also sounds the alarm about the inward-looking and even xenophobic trends in current Japanese society, and actively expresses his opinions about multicultural coexistence in Japanese society.

(Updated December 2016)

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