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https://www.discovernikkei.org/en/journal/2013/9/5/nikkei-filipinos-japon/

在日フィリピン人の中日系人〜南米の日系人との共通と違い

フィリピンの国柄や国民性をみると、何となく南米諸国に類似したところがある。在日ペルー人やアルゼンチン人は、彼らに親近感を覚えるという。工場やお弁当製造といった職場でラティーノとフィリピン人が知り合うこともあるが、フィリピン女性が働いている飲食店やカラオケバーでの出会いもあり、フィリピン人とラティーノとの国際結婚も珍しくない。

やまと国際フェスティバル、さまざまな国籍のコミュニティーリーダーが協力しながら開催するイベント。フィリピンのマリルー岩崎さんで、地元で同胞の支援に取組んでいる。 http://www.yamato-kokusai.or.jp/menu/festival/festival.htm

日本の入管統計(法務省)の速報によると、2012年12月現在フィリピン国籍の登録者は202,974人で、そのうち男性が45,418人、そして女性が157,556人で全体の77%を占めている。在留資格別でみると、永住者が106,397人、日本人の配偶者が33,122人、定住者が40,707人で、定住指向が明確である。居住地域別にみると、東京都に28,148人、愛知県26,246人、神奈川県17,718人、埼玉県16,110人、千葉県15,436人、静岡県12,358人等であり、これをみるかぎり日系就労者が居住している地域と重なっている。

しかし、在日日系フィリピン人を研究している上智大の飯島真里子氏の調査結果によると、実際日系人といえるフィリピン人は2000年頃に入国しており、推計1〜2万人ほどで、その多くは福島県や香川県で就労、定住しているという1。東京や神奈川で、ペルー人がフィリピン人女性と結婚することはあるが、彼女が日系人であると限らないようである。

80年代のフィリピンからの移民の多くは女性で、ダンサーまたはエンターテーナーの資格(興行ビザ)で来日し、水商売で働くものがほとんどだった。しかし、彼女たちに対するブローカーによる搾取や売春行為が明るみになり、「ジャパゆきさん」として一つの社会・人権問題としてクローズアップされた。そのような労働・社会環境から逃れるため、多くのフィリピン人女性は日本人男性と結婚したが、彼らの子供も日系人といえる(そうした意識があるかは別問題であるが)。

一方、同じような組み合わせでフィリピンで生まれた子も日系人であるが、非嫡出子で認知されていない場合は日系人として正規のビザで入国することはほぼ不可能である。そのため、日本人の父親を捜索し、認知請求を行う様々な支援団体が存在する2。戦前に移民した日本人の子孫であっても、戦後諸事情によって日本に戻れなかった者も実は日系人なのである3

戦後のフィリピンは、経済低迷と高失業率、政治不安と社会混乱、高失業率と格差という状況が蔓延し、多くの者が海外へ出稼ぎ又は移住した。時期的に多少のズレがあっても南米の事情と類似している。フィリピンには産業が少なく、雇用を創出する製造業のシェアは低い。7100以上の島々で構成されているこの国は、インフレ整備が追いつかず、マニラやその郊外と一部の主要都市に人口のほとんどが集中している。

フィリピンでは、70年代から、外貨獲得のために自国民を労働者として派遣しはじめ、これらの活動を支援をするための行政機関を設置した。女性はメイドや看護師等、男性は石油発掘や遠洋漁業等に従事した。大卒の人も多く、フィリピン人医師や看護師の多くはアメリカへ派遣された。英語で教育を受けていることが長所になり、世界各地でさまざまな職種に就いている。

しかし1995年、国家財政のために行っていたそれまでの労働者派遣推進政策を改め、移住先での労働者保護や人権遵守等の状況を優先させ、国民ひとり一人が自分の責任において海外へ行くことを強調したのである4

現在、海外に出稼ぎ又は在住しているフィリピン人は総人口の一割弱、1,000万人いると推定されている。そして彼らの母国への送金額は200億ドルを超えており2兆円相当になる(送金元は米国が全体の42.2%、カナダ10.3%、サウジアラビア8.0%、イギリス4.8%、そして日本が4.5%を占めている)。この金額は、国民総生産25兆円の7.5%、輸出額5.2兆円の40%にあたる(2012年、ジェトロ統計)。

また、年間平均一人当たりの所得は2,600ドル程度(26万円)だが、首都マニラやその郊外、主要都市では平均所得の倍以上ある。現在のペルーの平均所得と購買力に匹敵するが、格差の構造はフィリピンの方が深刻かも知れない。それでも、今の国内の経済状況をみると個人消費が拡大し、サービス部門や商業、そして輸出産業に関連する製造業でも雇用が増加している。日系企業による、電子機器、アパレル、タイヤメーカー等への投資も増えており、単なる輸出の生産拠点だけではなく消費市場としても、フィリピンは注目されているといえる。

他方在日フィリピン人は、東北の震災後数千人本国へ帰国しているが、現在、ブラジル人を抜いて第3位の外国人コミュニティーである。

飯島の論文には、日系フィリピン人は、その歴史的背景から日本に対する思いがかなり強く、一世の里帰りや墓参りという側面が強く、親せきに会いたいまたは日本に定住したいという要望がかなり強いようである。

南米日系人の一部にも「二つの祖国」という考え方もあるが、徹底した同化政策や祖国に対する帰属意識が強いこともあって、日本への好意や感心はあっても精神的な拠り所は多くのものにとって生まれ育った自分の国である。

そして、日系フィリピン人にとって本国の経済や労働環境がある程度改善しても、やはり日本の方が安全で安心できる生活を送れるという考えが根強いようだ。私が関係している多くのペルー人たちも同じような考えを持つ傾向にある。フィリピン人の仕事のあっ旋状況をみると、民間の労働者派遣会社に依存するケースが多く5、長期滞在であっても中々日本語の習得率が上がらない。また、最近の行政や支援団体の窓口には家事問題の相談が増えているという。このような傾向も、在日ラティーノと類似・共通している。

飯島が指摘するように、確かにこのような問題は日本国として一貫した移民統合政策がないことが原因ともいえるが、ここまできめ細かな支援サービスをしている国はほとんどない。複雑な問題に関して時には異なった管轄権の機関同士の連携が十分でないということはあっても、移民を多く受け入れている欧米や南米諸国と比較すると、日本は支援体制が多過ぎするぐらいで、私はむしろ外国籍住民の自立を妨げているではないかと思えてならないことの方が多々ある。

南米の日系ラティーノとフィリピン人が今後も共通の職場や教会、国際交流イベントで互いに認識し合い、交流することはあっても、日系フィリピン人と出会うことはほとんど偶然の産物かも知れない。しかし、このような日系人が存在することは南米の日系人にとっても決してマイナスになるものではなく、世界には歴史に翻弄されてきた日系人がたくさんいることを再認識する絶好のチャンスかも知れない。

横浜のフィリピンフェスタ2012。2013年も9月末に開催を予定している。 https://www.facebook.com/pages/Barrio-Fiesta-Japan-2012/319663711456469

注釈

1.飯島真里子、大野俊「フィリピン日系「帰還」移民の生活・市民権・アイデンティティ : 質問票による全国実態調査結果(概要)を中心に、九州大学アジア総合政策センター第4号、2010。

2. じゃぱゆきさんの記事:http://diamond.jp/articles/-/37099
その他、混血私生児「ジャピーノ」という問題もあるが、これは主にフィリピン駐在中に日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれた婚外子、非嫡子のことである。認知されなかったことで養育費の請求もできず、社会問題になっている。
http://www.bllackz.com/2001/10/blog-post_26.html

3. 戦前には、フィリピンには主にダバオでは、合計3万人の日本人移住者が居住していた。戦争後、そうした子や日本人兵士の子が残留孤児になっている。戦後は、反日感情が強くなったためそうした子たちは多くの苦難にあい、身分を隠して生活したり、中国人等の養子になって生き延びたという。さまざまな団体が支援に乗り出し、日本財団の支援によって「NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター」が2003年に設立され、両国政府の協力によって多くの残留者が戸籍を回復して日本に来れるようになった。当然、日系フィリピン人という位置づけもできる。

4. 佐藤忍、『「第9章:フィリピンの労働力輸出」、グローバル化で変わる国際労働市場〜ドイツ、日本、フィリピン、外国人労働力の新展開』、明石書店、2006

5. フィリピン労働者の派遣会社 http://www.prosper-job.com/haken/

 

 

 

 

 

 

© 2013 Alberto J. Matsumoto

Filipinos Filipinos in Japan foreign workers Japan Japayuki-san Ms. Gone to Japan Nikkei in Japan Philippines
About this series

Lic. Alberto Matsumoto examines the many different aspects of the Nikkei in Japan, from migration politics regarding the labor market for immigrants to acculturation with Japanese language and customs by way of primary and higher education.  He analyzes the internal experiences of Latino Nikkei in their country of origin, including their identity and personal, cultural, and social coexistence in the changing context of globalization.

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About the Author

Nisei Japanese-Argentine. In 1990, he came to Japan as a government-financed international student. He received a Master’s degree in Law from the Yokohama National University. In 1997, he established a translation company specialized in public relations and legal work. He was a court interpreter in district courts and family courts in Yokohama and Tokyo. He also works as a broadcast interpreter at NHK. He teaches the history of Japanese immigrants and the educational system in Japan to Nikkei trainees at JICA (Japan International Cooperation Agency). He also teaches Spanish at the University of Shizuoka and social economics and laws in Latin America at the Department of law at Dokkyo University. He gives lectures on multi-culturalism for foreign advisors. He has published books in Spanish on the themes of income tax and resident status. In Japanese, he has published “54 Chapters to Learn About Argentine” (Akashi Shoten), “Learn How to Speak Spanish in 30 Days” (Natsumesha) and others. http://www.ideamatsu.com

Updated June 2013

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