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Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity

第二次世界大戦をめぐるハワイ日本人移民の忠誠心と日本人意識 ―短歌・俳句・川柳を史料として― - その2/3

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3.二世部隊

ハワイの日系二世といえば、第100大隊、そして第442戦闘部隊はあまりにも有名である。彼らの輝かしい戦功・犠牲によって日系人の忠誠が証明されたといわれる。息子を軍隊に送り出すことによって、一世はアメリカへの恭順を示した。しかし、二世兵士の心情を思いやる一世、また兵士の親たちの悩みは深かった。

生みの親と育ての親の争ひに二世は迷ふ荊(いばら)踏む道 相賀渓芳

割り切れぬ千々の悩みに踏み迷ふ二世の親の心淋しも 相賀渓芳

敵とならん子の入営を微笑みつ 横山松青

開戦時から存続していた正規の二世陸軍兵士1,432人は他と分離され、白人士官9名とともに「ハワイ緊急大隊」という特別組織に投入され、1942年6月5日、密かにアメリカ本土に向けてホノルルを出港した。彼らは「第100大隊」と名前を変え、9月に北アフリカのアルジェに上陸。その後イタリア各地を転戦した。激戦のカッシノでは、200人の兵士が出撃し、生きて帰ってきたのはたった23人のみであった。1943年秋頃から、ハワイの日本人社会では、戦死した二世の葬儀が相次いだ。戦死者は、ホノルル市内のパンチボールの丘にある国立墓地に埋葬された。

カシノ戦記念の紫心章へ泣き 斧平

歐州の戰野をめぐる愛子に恙(つつが)なかれと夜毎念ずる 泉さだを

盆丘(パンチボール)の国立墓地に詣でくれば一目に胸を打つ眺めかも 中林無有

1944年に二世の徴兵が復活した。第442戦闘部隊の日系人兵士総数は18,000人に達し、第442戦闘部隊は、戦傷者に与えられる名誉戦傷章など、陸軍戦史上「最も多くの勲章を受けた部隊」となった。彼らの戦功は一世にとっても誇りであった。

朝寒や子の徴召の遂ひに來し 芳庭

二世輝く門出やレイの菊薫る(インダクチイ) 岡本蕉葉

日系兵士のいさをし永久に七四祭 横山松青

二世兵士達(写真:Gift of Eric Saul, Japanese American National Museum [96.314.19])

4.終戦

1945年8月14日、ホノルルは華やかな対日戦勝パレードで町中が沸き立った。しかしその陰で、約3万5千人の日本人一世の多くが、祖国日本の降伏というニュースに途方にくれ、家に閉じこもり、悲しみにうちひしがれ、涙にくれた。一世の多くは、戦中密かに日本からの短波ラジオ放送に耳を傾けて、日本の勝利を確信していた。ホノルルも町でも、本土の収容所でも、アメリカの勝利をつげて鳴り響くサイレンが、一世にとっては敗戦のサイレンであった。

戸外には停戰サイレンが鳴りており我は涙の心もてきく 福永漢月

この汽笛吾が皇國のとむらひの響きならずや胸にひゞかふ 竹井蘇人

頼みてしわが日の本の敗れしに心も魂も置き所なし 中林無有

ハワイの日本人はラジオ短波放送で、終戦を告げる天皇の声に接した。そして、天皇の人間宣言を受け止めることになった。受けた衝撃は日本にいる日本人と変わらなかった。

気も狂ふ思いあの日の御玉音 すみれ 

ラヂオへ顔せよ合ひ敗けたといふ故國からの一語一語 古川文詩朗

終戦から3箇月が経ち、大陸の収容所から解放されたハワイの日本人指導者たちが島に帰還し始めた。荒野の収容所から、光溢れる花のハワイに戻った一世たちの感慨も、また夫の帰還を待ちわびた妻たちの感慨も、一入であった。しかしホノルルの日本領事館は閉鎖されたままであった。

外の垣にも花の我家でご飯いたゞく 古谷翠渓

過ぎし日の思出ふかしとらはれの夫まちにし四年あまりの 志賀野浦子

たゞうれし妻が料理の雑煮なる 重兼花雪

御紋章の跡仰ぎけりお元日(元領事館の庭に佇みて) 横山松青

5.敗戦の祖国

戦後の日本の惨状は、まず進駐軍として日本へ渡った二世兵士からの手紙で伝えられた。ララ(Licensed Agencies for Relief in Asia, LARA)のドキュメンタリー映画も焦土日本の惨状を伝えてきた。

腹えぐる母國ニユースに昼も夜もさいなまれ居り夏深みつゝ 三陽夕陽丘

映画とも思へざりけりまざまざと戦災日本の現実のさま 泉 白水

緊急の救済が必要であり、食糧、衣料品、医薬品等が、移民たちからララを通じて祖国に届けられた。また日本との郵便が再開されると、日本の親族友人への無数の救援小包が送られた。日本との信書の交換が自由になり、久しぶりに日本からの懐かしい便りが届いた。家族中が日本からの手紙に引き寄せられた。中には思いがけない訃報もあった。

はらからに送る小包ととのへつ悲しき戦ひに心濁るも 山里慈海

五年ぶり故郷の便りへ寄る眼と眼 快夢起

ひらかなの便り祖國へ向いて讀み 晴耕

久方の古里のたよりはかなしくも母みまかりししらせなりけり 泉さだを

日本降伏後まもなく、日本敗戦を受け入れられない一世たちの間で、日本が戦争に勝ったという様々なデマが飛びかった。やがて「勝った組」と呼ばれる多くの団体が生れ、ある種の社会運動となったが、間もなく終息した。

まことなれかしと思へど好ましき噂の影はたよりなげなる 中林無有

珈琲採るあの一家勝った党だといふ 横山松青

大多数の一世は祖国の復興の響きをも耳にして、祖国への新たな誇りを抱くようになった。優秀な大和民族ならば、きっと立派に復興するにちがいなかった。アメリカ軍の支配下に、民主日本への転換に、多くの一世は期待した。

他に劣る国民ならじ今十歳経なば築かむ輝きの国 竹井蘇人

舊き人去り新しき人の立つ故國思へば胸おどるかも 比嘉静観

デモクラシー産声あげた新日本 潮風

その3 >>

 

*2013年7月4日から7日にかけて行われた全米日系人博物館による全米カンフェレンス『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』での日本語セッション「一世の詩、一世の声 (Issei Poetry, Issei Voices)」のセッションでの発表原稿です。

このセッションの発表を聞く(音声のみ)>>

 

 

© 2013 Noriko Shimada

haiku hawaii issei janm poetry senryu Speaking Up! tanka waka World War II

About this series

For the 25th anniversary of the Japanese American Redress legislation, the Japanese American National Museum presented its fourth national conference “Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity” in Seattle, Washington from July 4 to 7, 2013.  This conference brought fresh insights, scholarly analysis, and community perspectives to bear on the issues of democracy, justice, and dignity. 

These articles stem from the conference and detail the Japanese American experiences from different perspectives.

Visit the conference website for program details >>