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限りなく遠かった出会い

ある日系二世ブラジル人の正月の想い

私は元旦生まれである。父母の生涯でもっとも異常な時期であった戦時中、サントス市日本人退去命令のため、田舎町パラガスー・パウリスタの小さな日本人旅館「丸林」の一室に住んでいたときに生まれたと、父の古い日記に書かれてある。すなわち、これが私のこの世の始めての正月であったのだ。

父はこの事を下記のように書き記している。

「一九四四年一月一日午前十時四十分、妻、敏子、男児出産する。この子、なんと天運の良き児であろう、なんと有意義な日に出生したのだろうか。私は三十歳の年をむかえることになった。この児及び一家に幸あれ。

年頭から本年はヨーロッパ戦線で非常になる激戦になる模様である。ドイツ軍はほとんど東ヨーロッパを撤兵中だ。三十一日から元旦、二日に掛けて、ベルリンが一千機の飛行機によって空爆されて死傷十四万人と当地新聞は報じている。本年の五、六月頃までに大規模な戦争になり、そして戦争が終結すると、自分は見ているが、果たしてどんなものか。正月後は日本の戦争状況については当地の新聞は書いていない。なんだか寂しいような気がする。」

戦争はこの後、1年8ヶ月も続いた。父のブラジル生活ははちょうど足掛け10年になっていた。

その間父は、朝夜、日本からのラジオに噛り付きながら戦局状況を把握して、毎日日本の皇軍の一大決戦を待ちに待っていた。その日々を細かく、フィリピンのレイテ島、サイパン、グアム、テニアン、硫黄島、沖縄上陸など、東京から発信されるデマ放送をまるっきり信じて、びっしり日記に書き下ろしている。

現在、2012年、最近公開されたその当時の事実を物語る書簡など読むと、なんと事実とかけ離れた世界に身を置いていたのかとため息を漏らさずにはおれない。その迷いは戦後数年続いて、ブラジルでは史上異例な「勝ち組・負け組み」の闘争を引き起こした。

父は大日本帝国皇軍の勝利を心から信じていた。そして、大東亜共栄圏の確立を信じて止まなかった。それから、敗戦、連合軍による占領、新憲法発足、東京裁判、国民の洗脳などが実行されて、日本は変わった。しかし、いかなる厳しい環境におかれようとも、父の帝国男児魂を揺るがすことはなかった。

父の日記には、日本の兄から送られた新憲法の骨子が書き写されていたのを覚えている。コピー機のまだ無い頃のことだ。父は、その新憲法に対しての批判と、いかにあるべきかを自筆で書き、日本へ送っている。

今振り返ってみると、70年前、30歳の父は、日本から遠く離れたこの敵国にいて、必死になって祖国を想い、祖国を愛し、自分なりに、勝利国によって変えられる憲法を必死に守ろうとしていた。なんと、涙が出るほど力強い心理に燃える父を私は持ったのだろうと深く心を打たれる。

* 本稿は、サンパウロ新聞のコラム「読者ルーム」に掲載された(2004年1月1日)ものを加筆修正したものです。

© 2013 Hidemitsu Miyamura

Brazil diary family issei Kachi-gumi Make-gumi nisei World War II

About this series

1934年19歳で単身ブラジルに移住し、81歳にブラジルで他界した父が書き残した日記や、祖父一家の体験話などをもとに、彼らのたどった旅路を、サンパウロ新聞のコラム「読者ルーム」に連載した(2003年4月~2005年8月)。そしてそのコラムをまとめ、「限りなく遠かった出会い」として、2005年に出版した。このシリーズでは、そのいくつかのエピソードを紹介する。