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『羅府ぎぎゅう音頭』の著者、佐藤健一先生を訪ねて - その1

一昨年秋より、わたしはリトル・トーキョー・レポーター(LTR)という、日系一世である藤井整の生涯を描いたドキュメンタリー映画の制作をお手伝いしています。(その経緯については『「正義の闘い」を映像に―藤田キャロル文子さん』を参照ください。)今回はこの映画制作における「要」ともなった資料である『羅府ぎぎゅう音頭―排日土地法を葬った藤井整の記録』(1983年)を書いた佐藤健一先生を訪問したときのお話です。

『羅府ぎぎゅう音頭』は、藤井整の生涯を描いた作品であると同時に、彼を知ることのできる数少ない貴重な資料のひとつです。藤井氏がこの世を去ったのは1954年で、すでに彼の親族の多くもこの世を去っています。そのため、彼を直接知っている方を探すことはとても難しいことでした。ですから、藤井氏の経歴を細かく調べた佐藤先生から直接話をうかがうことは、LTRの制作において、とても重要なことでした。去年の7月、わたしは藤田さんに頼まれ、先生のインタビューをすることになりました。

現在は庄内地方でリタイア後の生活を満喫する佐藤先生(写真提供:ジェフリー・ジー・陳さん)

『羅府ぎぎゅう音頭』執筆のいきさつとそのプロセス

佐藤健一先生は、東京生まれの東京育ちです。慶應義塾大学の理工学部を卒業したのちに、山形県の公立高等学校の英語の教師になりました。先生が東京を離れ、山形で就職をした理由は、先生の両親が庄内地方の出身だったからだそうです。およそ25年にわたる教師生活をおくったのちに、先生が選んだ次の職業はジャーナリストでした。大学時代の知人の紹介で、アメリカの羅府へ移住、フルタイムの記者として加州毎日新聞社に入社しました。その後、羅府のさまざまな地域に足を運び、羅府で起きているニュースを日系社会の人々に日本語で発信しました。

先生が藤井整氏の伝記を書くきっかけとなったのは、当時の加州毎日新聞社のゼネラル・マネージャーであった、故丸谷潤子さんに依頼されたからです。

丸谷さんは、日本語と英語の堪能な帰米二世で、長年にわたり加州毎日新聞社の経営にたずさわってきた方です。戦後まもない頃に加州毎日新聞社に入社した彼女は、「ミスター・フジイ」の秘書を務めました。そして、藤井整がこの世を去ってから加州毎日新聞社が廃業するまでの数十年間は、ゼネラル・マネージャーとして会社の経営に深くたずさわりました。

丸谷さんは、藤井整の「生き証人」でもあり、いつの日か藤井氏の功績を後世に残そうと考えていました。先生のライティングスタイルが気に入っていたこともあり、先生であれば後世に残る素晴らしいものが出来ると、佐藤先生に藤井氏の伝記を書くことを依頼したそうです。

丸谷さんから藤井整の伝記を書くことを頼まれた先生は、彼女の依頼を喜んで引き受けることにしました。以来、先生は午前中に『加州毎日』向けの記事を書き、午後には藤井氏に関する調査を精力的におこなうようになりました。

藤井整の伝記執筆にあたり、まず『加州毎日』の過去の記事を読み返すことからはじめました。藤井氏に関する情報を、ひとつたりとも漏らさず集めたのです。そのなかには、藤井氏の残した手紙や、自筆のメモ、さらには裁判の記録などもふくまれていました。さらには、戦後、彼が外人土地法を葬るために購入した「土地」を見つけるために、羅府市内のさまざまなところを歩きまわりました。古い地図などを参考にして見つけたその土地は、今でもメキシコ系の人々の住む地域のなかにひっそりと存在しています。

しかしながら、佐藤先生は、藤井氏の伝記執筆のさなか、体調を崩してしまい、病気療養のため、やむなく日本に戻ることを決めました。その後、体調は少しづつ良くなったので、先生は日本に生活の拠点を戻したまま、加州毎日の客員記者として記事を書き、執筆作業を続けることにしたのです。先生は、定期的に羅府をおとずれては丸谷さんや藤井氏の関係者に会い、情報収集に努めました。

遂に、およそ6年の歳月をかけて藤井整氏の伝記『羅府ぎぎゅう音頭』を完成させたのです。1983年(昭和58年)12月のことでした。先生のみならず、先生の仕事を精力的に支援しつづけた丸谷さんにとっても、非常に感慨深いものだったと、わたしは思います。


『羅府ぎぎゅう音頭』について、先生はこんな面白いエピソードも話してくださいました。

本が出版された頃、小東京で日系人の歴史に関わる重要なものを残そうと、「タイム・カプセル」つくるプロジェクトが始まったそうです。それを聞きつけた丸谷さんは、「ミスター・フジイ」の功績を後世の人々にも知ってもらいたいという思いから、『羅府ぎぎゅう音頭』をタイム・カプセルに納めたというのです。

この「タイム・カプセル」は、現在も小東京のどこかに埋められており、今からおよそ70年ほどしたら、掘り出されるとのことです。未来の日系社会を支える人々が、藤井整氏の功績についてどんな「想い」を寄せるのか、楽しみです。

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© 2012 Takamichi Go

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