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第六話(後編) マユミは此処!FELIZ NATAL!

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何と言ってもナタール(クリスマス)はデカセギにとって特別な祝日だ。無関心な人は誰もいない。みな、その日が来るのを心待ちにしている。家族や友人と集り、その時だけは多忙な生活をしばし忘れ, 懐かしいブラジルの思い出話に花を咲かせる。

しかし、問題は日本でのクリスマスが祝日でないことだ。仕事を休めない人は前日にお祝いをするしかない。それでも、クリスマスを祝うのがデカセギの一番の楽しみだ。

クリスマスイブに大勢の人がパストール・マコトの家を訪ねる。地域に住み着いた頃から、クリスチャンであってもなくても、日系人が挨拶しに訪れている。牧師先生のメッセージを聴くのも目的のひとつだ。

そして、今年もいつものようにテーブルにはブラジル人が好きなパネトネとブリガデイロやキンジンなどのお菓子、パーティには付き物のコシーニャやエンパジーニャやボリーニョ・デ・バカリャウがやまほどに並んでいた。全て、知恵さんと近所の奥さんたちの手作りだった。

パストールの家はとても居心地がいいのでみなの集る場になっていた。その上、先生は話が上手なうえに、一人一人の話にじっくりと耳を傾け、受け入れてくれるので、みなの心を捉えている。デカセギは何よりも話がしたい、心の底にたまっていることを吐き出したい、聴いてもらいたい。仕事中は絶対できないことなので、絶好の機会だった。

トシアキとアンジェラ夫婦は子どもを連れて3時間かけてやって来た。小さい頃、子どもたちは知恵さんに面倒を見てもらい、その後、他の町に移り、そこのブラジル人学校に通った。ちょうど小学校を終えたので、家族全員でブラジルに戻ることになったのだ。子どもたちは日本の生活が好きで、本当は帰りたくなかったが仕方がなかった。ブラジル人学校の中学部は4人の生徒しかいなかった。

帰る人がいれば、来る人もいる。リナはその一人だった。父親の病気のため、大学を休学し、デカセギに来た。右も左も分からない時に知恵さんに出会い、いろいろ教えてもらった。今は教会の伝道活動にも参加していた。また、66歳のノブオさんは借金を返済するために日本に来たばかりだった。工事現場のガードマン の仕事はきつかったが、一生懸命だった。

みんなで喜びと感動を分かち合いながら、ささやかなクリスマスイブを過ごして帰って行った。

クリスマスの朝、窓を開けると、パストールは驚いた。「なんて明るい日ざし、澄みわたった空なのだろう。今日も神の祝福が注がれますように」と。

昨夜は強く心を動かされたパストールだった。デカセギが今でもブラジルと日本を往き来し続けることに驚かされた。日本の求人状況は厳しい状態だ。反対に、ブラジルの経済は目に見えて改善されてきた。国民の生活は良くなって来ているとニュースで聞くが、本当にそうなっているのだろうか。

今朝、最初に訪れたのは森直人さんだった。高校生の頃、森さんはパストールに出会った。ブラジルでサッカー留学をしていた時だった。夢はプロのサッカー選手になることだったが、先輩たちと夜遊びを覚えてからトレーニングをさぼり、練習に行かなくなってしまった。ある夜、パストール・マコトは「東洋人らしい青年が道に倒れている」と知らされ、駆けつけた。酔っ払っていたので、青年は車にもう少しでひかれるところだった。結局、サッカー選手になるのをあきらめ、日本に戻り、2年後に大学に入学、心理学を専攻した。今ではデカセギの子どもたちをサポートする活動をしている。学校に行かないひきこもりや不良少年が少なくないからだ。

そのあとも、次々と人が訪ねて来た。ユキとユリ姉妹は「ビッグニュースがある」と、ニコニコして来た。幼い頃から日本で暮らしてきたので、ブラジルに戻る気はまったくなかった2人に「夢のまた夢」が実現したのだ。ユリは日本の大学に進学、姉のユキはもうすぐ日本人の男性と結婚することになった。

しかし、楽しい話だけではない。年配の男性が遠慮げに部屋のすみに座っていた。ナカノさんだ。実は、半年前、パストールはブラジルにいるナカノさんに電話で知らせたのだった。ナカノさんの18歳の孫息子は日本で仕事をしていたが、クビになって、町をふらついて物乞いまでしていると。ナカノさんは苦労して旅費を掻き集め、孫を迎えに来日したが、連絡を受けてから時間が大分経っていたので、孫の行方は分からなくなっていた。実は、孫はパストールの家に泊めてもらっていたが、ある日、お使いに出たきりいなくなってしまったのだ。ナカノさんはブラジルに病気の妻を残して来たのだったが、年末まで孫の帰りを待つことにしていた。その内、聖書が解るようになり、教会のパンフレットを街で配る手伝いをしながら、あきらめずに捜し続けた。

もうひとり、懸命に生きている人がいた。クニコさんだ。1990年にクニコさんは夫と息子夫婦と日本にデカセギに来た。家族全員で働き続け、10年後、みんなで帰国した。クニコさんの夫は念願のスパーマーケットを開き、日本で生まれた2人の孫は私立の学校に通い、お嫁さんは車で子どもの送り迎えをし、クニコさんは家で楽な生活をしていた。何から何まで順調だったが、2008年の8月にスーパーが4人組の強盗に襲われ、クニコさんの夫は銃で撃たれ、抵抗した息子はその場で殺されてしまった。夫は助かったが、後遺症が残り、スーパーを手放さざるを得なかった。生活は厳しくなり、お嫁さんはうつ病になり、孫たちは公立の学校に移り、クニコさんは家族を養うためにもう一度日本へと。

正午になると、知恵さんがオルガンを弾き、パストールが賛美歌を歌い始めた。すると、他の人々も声を合わせて歌いだした。感動して涙ぐむ人もいた。

次に、パストールが神に感謝の祈りを捧げたあと、みなで、テーブルを囲んでごちそうになった。ブラジルのクリスマスには欠かせないドライフルーツ入りのパネトネを分けている時、クニコさんが急に泣きだした。初めての日本でのクリスマスを思い出したのだ。当時、夫は働き盛りだったし、息子もいっしょだった。初めてのクリスマスだったので、クニコさんはブラジルの親戚に手紙を書いた。「ここでは、パネトネを見たこともない。食べたいなぁ」と。それを知ったクニコさんの姉がパネトネを送ってくれたのだ。パネトネが大好きな夫は、今、どうしているのだろうと、涙が止まらなくなったのだ。

同じようにブラジルに家族を残して来た人で、もらい泣きをする人もいた。

子どもたちはわくわくと胸をおどらせてプレゼント交換が始まるのを今か今かと待っていた。大人たちは「アミーゴ・セクレット」*の準備を始めていた。

ユキさんはナカノさんの名前を引き、自分で編んだマフラーをプレゼントした。ナカノさんは、欲しかった物を貰って、大喜びだった。ありがたかった。ブラジルの熱帯地方に住んでいるので、冬物の用意をして来なかったからだ。一方、ブラジルを懐かしく思っている森さんは知恵さんからブラジルの風景写真集をもらって大喜び。「これは僕がサポートしている少年たちとの話題に使える」と。

それからしばらくしてチャイムが鳴った。みなの視線が一斉にドアに注がれた。

「来たよ!来たよ!」

この日の特別なお客さんのようだった。長い黒髪の若い女性に抱かれ、ふわふわした真っ白いフード付きのコートを着た赤ちゃんが登場した。出迎えの大勢の人を見ると、にっこりと笑った。まるで天から降りて来た天使のようだった。

名前はあかりと言い、母親はマユミ。

台風に遭った日、マユミは暴風雨で目の前が見えなくなる程だった。狂いそうになっていた。「せめてこの子だけは助けなくては」と、目に入った「塀に花が飾ってある家」の戸口にそっと赤ちゃんを置いて来てしまった。

強い風と雨の中、あてもなく歩き続け、町外れで、ついに、倒れてしまった。数時間後、台風が去った頃、農家の夫婦に助けられた。翌日、目覚めるとマユミは叫んだ「コドモ、コドモ」安全そうな所だと、とっさに置いてきてしまったので、マユミは心配だった。

2日後、大分よくなったマユミは農家の夫婦に身振り手振りで「コドモ」を探したいと伝えた。この夫婦は親切に町まで小型トラックで連れて行ってくれた。「塀に花が飾ってある家」を見つけるのに苦労したが、見つかった。その家はパストール・マコトの家だった。

パストールは赤ちゃんの母親の無事を確認し、歓迎した。3日ぶりに現れたマユミは、何度も「スミマセン。スミマセン」と繰り返した。

そのあと、すぐに、マユミは弁当屋の仕事を見つけ、あかりと小さな部屋で暮らした。2ヶ月して生活が落ち着くと、今度は、帰国したくなってきた。シングルマザーだし、身内もいない日本にいても苦労するばかりだと思うようになり、ブラジルに帰る決心をしたのだ。ブラジルに戻れば、兄弟もいるし祖母も待っていてくれるから。

帰国する前の日本での最後のクリスマスにパストールに会いに来たのだ。今年のクリスマスは忘れられない記念すべき日になった。

「今日、ダビデの町で、あなたがのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」 
                                                       ルカによる福音書 2.11


*注釈:ブラジル式プレゼント方式。プレゼントをする人は誰にあげるか事前に知っているが、プレゼントを貰う人は誰から貰うか、知らない。そういうプレゼントの渡し方。

© 2012 Laura Honda-Hasegawa

About this series

In 1988, I read a news article about dekasegi and had an idea: "This might be a good subject for a novel." But I never imagined that I would end up becoming the author of this novel...

In 1990, I finished my first novel, and in the final scene, the protagonist Kimiko goes to Japan to work as a dekasegi worker. 11 years later, when I was asked to write a short story, I again chose the theme of dekasegi. Then, in 2008, I had my own dekasegi experience, and it left me with a lot of questions. "What is dekasegi?" "Where do dekasegi workers belong?"

I realized that the world of dekasegi is very complicated.

Through this series, I hope to think about these questions together.

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About the Author

Born in São Paulo, Brazil in 1947. Worked in the field of education until 2009. Since then, she has dedicated herself exclusively to literature, writing essays, short stories and novels, all from a Nikkei point of view.

She grew up listening to Japanese children's stories told by her mother. As a teenager, she read the monthly issue of Shojo Kurabu, a youth magazine for girls imported from Japan. She watched almost all of Ozu's films, developing a great admiration for Japanese culture all her life.


Updated May 2023

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