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https://www.discovernikkei.org/en/journal/2011/5/12/okinawa-interns/

意欲に満ちた沖縄からのインターン生

県の事業の一環として

「日本の若者の海外留学が激減─内向きの危機感」など、日本のメディアが若者の将来に懸念を示すようになって久しい。留学が減ったのは、学生らが「海外留学などしていると就職面で立ち遅れる」という不安を抱いているためだろうが、沖縄県からロサンゼルスへ2月中旬から下旬にかけて2週間インターン(就業体験)をした4人の学生と接して、今の学生らに対する懸念は払拭しなければならないと考えを新たにした。前向きで真摯な彼らの態度から将来の日本の若者の姿が浮かび上がったと言えば言いすぎだろうか。

インターン生の研修事業は、人材育成を目的として、多くの学生に海外でソーシャルビジネス(社会事業)を経験させる沖縄県の事業の一環。今回の4人が、第1回の大学生インターンとなる。北米沖縄県人会とリトル東京サービスセンターで2週間研修した4人は、それぞれが違った角度から自分なりのアプローチで課題に取り組んだ。今回の研修が、10月に開催される第5回世界のウチナーンチュ大会へのプレゼンテーション(成果発表)と将来の職業への足掛かりをつかもうと前向きに挑む彼らの心の支えになると期待が寄せられている。4人のインターン生は40人の候補者の中から選ばれた。

パロスバーデスの岸本正之・多摩子夫妻(前列中央)所有の高級住宅に招待されたインターン生。後列左から田仲敦美さん、神田青さん、新垣哲平さんと前列右端比嘉千穂さん、左端は筆者・当銘貞夫。

インターン生の大志

ファッションショーの企画を提案、将来は映画監督かプロデューサー、あるいは俳優になりたいとの希望を抱く神田青さん(22)は琉球大学法文学部4年次生。北米沖縄県人会に研修中、県出身のプロと出会い、ファッションショーのプロジェクトへの協力を要請。山野流着装教室ロサンゼルス支部事務局長の押元末子さんや、ニューヨークのブロードウェイで活躍するミュージカルで名高い高良由香さんらが協力を約束した。

「社会福祉の観点も取り入れながら、子供から大人まで、幅広く、地域を活性化させる仕組みを創りたい」と話すのは比嘉千穂さん(20)。琉大社会学部2年次生。沖縄のシーコロジー(海の環境保全)に深い興味を抱く。シーコロジーは民族植物学者のポール・コックス博士が提唱し、非営利団体を創設。同博士とアメリカ本部事務局長のドゥエイン氏らが中心になって、世界中の絶滅の危機にある島の環境と文化を保護することを目的とした活動を展開している。

琉装のデザインに興味を持つ田仲敦美さん(20)は沖縄国際大学法律学部2年次生。「琉球の民族衣装の魅力を世界の人々に知ってもらいたいというアイディアから、デザインの一部をカジュアルな洋服に取り入れてみてはと考えました。取り組みへの一歩をロサンゼルスの沖縄県人会で得ることが出来ました」とふり返った。同時にファッションモデルに深い興味を抱く。沖縄出身のファッションデザイナーと接触して自分の将来を考える。父は茨城県、母は鹿児島県出身の沖縄生まれである。

経済学部環境政策で日米の交換留学生の育成と取り組む新垣哲平さん(21)は沖縄国際大学4年次生。人材育成で沖縄の発展を夢見る。

押元末子さん(前列中央)をはさんで懇談するインターン生ら。前列左端が押元さんのアシスタントの寺内健太郎さん。押元さんはロサンゼルスで「アカデミー賞受賞式典の出演者」のために着付けをしに行く途中沖縄県人会に寄って4人と会った。

宮里大八琉球大学特命准教授の観点

4人のインターン生の指導者として琉球大学特命准教授の宮里大八さんが訪米したが、宮里さんらは帰国後、4月6日に沖縄で開催されたシーコロジージャパンの「地球を守ろう」セミナーに参加した。岸本正之・多摩子夫妻がシーコロジージャパンの顧問を務めており、宮里さんは「セミナーの最後の挨拶で岸本さんが語った『地球市民的な発想で沖縄から世界の平和を願おう。そのためにはグローバルな視野を持つリーダーが必要』という言葉には深い感銘を受けた。それは、まさしく私が目指しているビジョン、夢、志と一致した」と伝えてきた。

「2050年までに沖縄からノーベル賞を!」という彼の夢は、沖縄にある軍事基地を全て「平和の基地」に変えていくこと。宮里さんは米国を訪れていた際、「今回の東日本大震災で改めて、日本の中での防災及び災害支援のあり方、日本国内や世界からの救援物資が届く際の供給基地、または被災した家族や子ども達を受け入れるための場所、そういうことでも、沖縄は貢献出来ると信じている」と主張した。私は、彼の貴重な意見に共感を覚えた。

インターン生歓迎会の模様、前列中央が宮里大八琉球大学特命准教授。 

シーコロジー講演会の感想文

4月6日に沖縄で開催されたシーコロジーのセミナーは満員だったという。世界で初めてサンゴの人工養殖と産卵に成功した金城浩二さんとコックス博士も講演したが、インターン生の田仲敦美さんと比嘉千穂さんが感想文を送ってきた。

「金城さんの志に向かってひたむきに尽力する姿に感銘を受けました。飾らない、とても素直な人で、幼少から社会人になってサンゴを守ることになるまでの経緯を正直に面白おかしく語り聞かせてくれました。最後に残してくれた言葉で『志で飯は食っていける』というのが一番私の心に残りました。彼はサンゴを守るために全力を尽くしていたとき、借金地獄に陥ってしまい友達に相談をするのですが、そのときいわれた言葉が『志では飯は食っていけないよ』だったのです。

私もその言葉に足をとられて本当にやりたいことから意識的に眼をそらしていた一人だったので、何度となく苦い経験を繰り返した金城さんが最終的に根性と忍耐力とひたむきな想いで大成功を収め、『志で飯は食っていける』ことを証明したお話は私に臆せず夢へ立ち向かう勇気を与えてくれました。

ロサンゼルスでのインターンから、確実に私の『挑戦』への臆病さは少しずつ消えてきているように感じます。自分を信じて精一杯努力を重ね続けると、絶対に夢はかなうのだ。当たり前なことかもしれませんが、実際に成し遂げた金城さんの言葉は強い説得力を持って深く心に響きました。ロサンゼルスで得た体験が、沖縄に帰ってきても続いていて今回の実り多い時間をすごせたことに感謝します」(田仲さん)

「金城さんが『誰かを批判している間は何も変わらない』とおっしゃっていたのが印象に残りました。そして『志で飯は食える』という表現、そのためには自分が変わる、できる方法を探す、まずは行動することが大事だという事です。3つとも今私が取り組めることで、『志で飯は食える』ということを喜びながら証明してみたいと思いました」(比嘉さん)

この感想文を読みながら、2月の研修で得たものが確実に2人の中に育っているとの手応えを感じることができた。これらの若者らの将来に期待したい。

 

© 2011 Sadao Tome

internships Japan Okinawa Prefecture students
About the Author

Born in Motobu Town, Okinawa Prefecture in August 1941. After working for Gakken and other companies, he moved to the US in 1969. Graduated from Glendale City College, transferred to California State University (CSULA) before dropping out. Served as president of the Okinawan Association of America for two years, from 2005 to 2006. Currently, he is chairman of the "Okinawan Association of America History Book Compilation Committee." He is a US correspondent for the Ryukyu Shimpo. In 2008, he was certified as a member of the Japan Essayist Club. He is the author of "Living in America."

(Updated January 2011)

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