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「日系人と日本語教育」パラグアイ国前駐日大使田岡功氏による講演会より -その2

>>その1

パラグアイと日本の関係

昨年、私がパラグアイに帰国する前、神原代表、元官房長官の河村先生、中田社長、元岐阜県知事の梶原氏、また多くの方々が「田岡を囲む会」を発足させて下さり、今後の私のため、また、パラグアイ日系社会の為に力を貸してくれることを約束して下さいました。

今後、日本でのパラグアイの価値、また、パラグアイならびに南米諸国の日系人の価値は、益々高まります。例えば、日本の食糧自給率は39%で、60%以上の食糧を世界から輸入しています。日本にとっては安定した、安全な食糧確保は、非常に大切な課題です。

その為、日本への食料供給源として、パラグアイと南米には大きな価値があります。私は、この5年間、日本で国会議員をはじめ多くの方に、「日本が移住政策で南米に送り出した子孫、つまり日系人が南米にしっかり根をおろし、立派な農業基盤を持っていることを日本が見直すべきでないか」と訴えて来ました。日系人を通し、日本は安全な食糧の確保が出来ることを、我々はもっと強調して行かねばなりません、その中で、パラグアイには日本語を話し、日本の習慣・文化も理解出来る日系人がいる強みもあります。

かって、日本でパラグアイを含め、南米21カ国の駐日大使と日本政府関係者が話しをした時、日本の南米諸国への食糧政策、資源獲得政策の遅れが指摘されました。中国はもう数年前から、南米の食料と資源確保のために動いています。日本は南米諸国との自由貿易条約も、メキシコとチリが実現しただけで、メルコスール諸国とはまだ結ばれていません。日本はこれから、南米をもっと重視・活用する時代に入って行く事になるでしょう。

日本とパラグアイの架け橋となる日系人

日本で使われる大豆の94%は輸入大豆です。また、日本は遺伝子組み換え大豆は危険と考え、非組み換え大豆しか輸入しません。ここイグアス移住地から、これまで毎年500トンの安全な大豆が日本に輸出されています。今年3000トンまで輸出が拡大されると聞いています。

パラグアイはこの日本への食料輸出により、大きな恩恵を日系人と日本から受けています。例えば、ここイグアスの発電所に関する円借款で、パラグアイの国会承認が出るまで、4回も契約の引き延ばしを受け入れました。これなど、パラグアイに日系人がいなければ、パラグアイが日本人の移民を受け入れていなければ、また日本政府がそれを感謝する気持ちがなければ、実現しなかったことでしょう。

また、私が大使としての最後の仕事は、パラグアイが日本から50億円のつなぎ資金の融資を借りるものでした。これは従来ならプロジェクトの無い所に、融資は無いのが常識です。多くの障害を乗り越えながら、交渉が進んで時、最後に日本政府が求めたものは、この融資を出すことにより、日本に何のメリットがあるかということでした。その時、日系農協中央会が7年前、日本の岐阜県のギアリングス結んだ、「食糧供給協定」が評価されたのでした。それほど当地の食糧と、日系人は価値があるものです。

日本語習得の意義

私も大使館勤め通し、日本にいる多くの日系人と会いました。日本語の判る日系人は日本の景気が悪くても、日本語が話せない日系人が仕事を辞めさせられる時も最後まで残れます。また、失業手当を受けながら、新しい仕事を探すことも出来ます。また、安定した仕事があれば、日本に定住することも可能でしょう、日本語の出来ない人は、新しい仕事のための訓練を受けることも難しいのです。

パラグアイの日系人の中にも、日本語が出来ないため、だまされて、毎日12時間、1年間食べるだけでタダ働きさせられた人もいます。その日系人はパラグアイにいる時から日系社会とは接しない、日本語学校にも行っていない人でした。

日系人は、日本人の顔をしている間は、どこに行っても、日本人・ハポネスとして見られます。どれだけスペイン語が話せても、日系人には日本語にも不自由無いようにしてもらいたい。これまでのパラグアイ日系社会を作った方々は、2世・3世でも日本語が話せる日系社会を作ってくれました。そのことを、私たちは心から感謝せねばなりません。

また、日系社会と日本語教師は、現在のパラグアイ日系社会の高齢者の人たち、また、多くの先輩方が残してくれた日系社会、今では、想像出来ない様な厳しい労働と生活に耐えて、現在の豊かな日系社会を作ってくれたことを、次の世代の子供たちに、言い伝えて行かねばなりません。また、そのような日系社会を、皆さんと一緒に作って行きたいと思います。

在任期間中に行った学生との交流について

パラグアイからの生徒には、私は全て身内のような気がしました。みんなしっかりしていて、日本語学校と日系社会の状態が良く分りました。その生徒達を、さそって一緒に食事したことも何度もありました。

私は、日本国の学生・生徒も大使館に年に30回から50回、修学旅行の生徒を受け入れました。それらの中には、いろいろな学校と生徒がありました。生徒を見れば、先生が判る、学校が判ると思いました。

チャンと制服を着てくるところと、だらしない服装の学校、質問事項をチャンと準備してくるところと、準備されていない学校、一人の生徒だけが質問するところと、生徒が順番に質問をする学校など、学校により様々でした。

今後の日系社会の在り方

日系社会は今後の日系社会を引っ張る人材を育てねばなりません、それぞれの地区には優秀な人材がいます。日系社会はそれらの優秀な方々の足を引っ張るのではなく、協力して、それらの人々を育てねばなりません。

あと一つ大事なことは 私たちは、これまで苦手であった、パラグアイの政治の世界にも日系人を送りださねばなりません。従来の、農業、経済、教育、医療、会計士、弁護士などだけでなく、政治の世界で働くことが出来る人材も、積極的に育てねばなりません。

また、人材育成の大切さは、日本では小泉首相が明治維新で新政府側に負けた旧長岡藩が「米百俵」を食糧に使わず、教育に使って、その後、多くの有益に人材を育てたことを例にして強調されました。パラグアイと日系社会でも同じことが言えます。

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田岡 功(たおか・いさお):1943年徳山県三好郡生まれ。14歳のときにパラグアイのラパス移住地へ入植。農業へ従事する傍ら、ラパス農業協同組合組合長、パラグアイ日系農業協同組合中央会会長、パラグアイ国農業協同組合連盟監事および理事などを歴任。87年にはパラグアイ国家功労賞勲三等を叙勲。1992―96年、 2002-03年にかけて、ラパス市の市長を務める。2004年に、日本生まれの海外移住者で初めて駐日大使として就任し、2009年9月まで務める。

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